火打峠 530m (1998.7.18、2003.11.15)  地図 2.5万図

岐阜県下呂市金山町福来ー下呂市下呂町火打
東山道支道(飛騨南街道)の峠である。現在国道41号線が通っている飛騨川沿いのルートは400年前に金森長近が開いたという。

それまで東山道支道は金山から火打峠執幣峠久野川峠竹原峠初矢峠を越え、下呂で国道41号線ルートに合流していた。


飛騨の入り口、金山の下原には益田川をはさんで2つの口番所があった。東側を福来口御番所といい、金森藩時代は大船渡にあったが、飛騨が天領になった元禄年間には福来に移ったという。現在も屋敷跡は高山本線沿いに残存している。
福来口御番所屋敷跡


奥洞地内まで登ると、和佐峠との分岐点にさしかかる。火打峠へは谷を真っ直ぐ遡っていく。いくら昔は東山支道の飛騨街道であったといっても、林道福来〜火打線ができたために現在に蘇った道である。
和佐峠との分岐点 峠方面を望む


舗装の1.5車線を黙々と辿る。この林道、できてから25年近く経つのに金山側はけっこう見晴らしが利く。
金山方面の景観 金山方面を望む


秋の景色を楽しみながら登るうちに峠に到着する。峠には当時の県知事、上松陽介の筆による峠の石碑が建てられている。また文化年間に火打村によって作られたお地蔵さんも立っていて、峠の風格としてはまあまあである。
火打峠



火打側に下りていく。峠の中腹には製材所があって、廃材を焼却する煙が峠道の中腹に漂っていて、煙くてしょうがなかった。麓の火打集落付近には「火打のツバキ群」の標識があった。
林道と「火打のツバキ群」の標識 火打の登り口



飛騨街道の峠群は断層線上にできているらしく、麓から峠の位置がはっきりわかる。ここ火打峠も火打集落から眺めると、製材所の煙に霞んではいるが、峠の鞍部がよくわかる。

また火打断層も久野川断層どうよう垂直方向の動きは少なく右ズレ断層である。地図でいうと、火打集落付近北側で門和佐川が右にズレて流れている。
火打峠を望む(峠から川に沿って断層が通っている) 火打断層(岐阜新聞・ひだみの活断層を訪ねてより)
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