和佐峠  530m (2003.11.15) 地図

岐阜県下呂市金山町福来(ふくらい)−下呂市和佐(わさ)
地名 時刻 標高 距離 積算距離
奥洞白山神社 08:40 265 . .
奥洞分岐点 08:45 295 1.0 1.0
和佐峠 09:35 530 2.3 3.3
和佐 10:05 300 2.2 5.5


金山町福来と下呂町和佐を結ぶ山道峠である。

実はここ、和佐峠は2年前に和佐側からチャレンジしたが、足元がぬかるんだ山道に恐れをなして撤退したことがあった。ところがこの春に「山みち峠みち平みち」の上田さんが越えられたそうなので、行けるんだなと思い、前回とは逆方向からリベンジすることにした。

金山町福来の奥洞にある白山神社に車をデポして走り出す。奥洞の集落内にあやしい分岐点があった。「関係者以外通行禁止」の立て札が立ててある。入るべきか悩んで、本道(火打峠へ行く道)を少し先に行ってみたが、それらしい分岐点はなかったので、意を決して通行禁止道へ入ることにした。
奥洞の分岐点


この道は途中にあった立て札で、下登尾線と判明した。路傍に放置された熊檻が曇天に不気味な雰囲気を醸し出している。道は1車線の舗装路。しかしそれも最後はダートになってしまった。頭上にある送電線だけが、文明との命綱のように見えた。
熊檻 ダート



この林道も最後の最後には山道に行き当たった。それでも峠は間近。送電線が地図通りで、とても心強い。山道部分は杉の人工林。テープが張り巡らしてあって、200mほど押し担ぎしたくらいだった。
峠の山道(左上に送電鉄塔あり) 峠直下


峠には中電の巡視道の標識があるだけで何もない。自転車を立てかけるのに都合の良い四角い岩があったが、人工物かどうかよくわからない。峠の南側斜面には熊笹が生い茂り、何か寒々とした光景であった。
和佐峠



和佐側へ下りる。『美濃の峠』によると和佐側には石畳が残っているらしいが、落ち葉に隠れているのか、山道部分では見つけられなかった。山道はすぐに終わり、ダートの林道が始まる。それもある程度下りると舗装路に変わった。
石畳なんかないよ〜 舗装路に変わる



進行方向の山並みを見ると、峠らしき鞍部が見える。以前越えた執幣峠(しっぺとうげ)みたいだ。しかしこの風景は執幣峠から久野川峠を見たときに感じたものと一緒だ。和佐峠執幣峠-久野川峠-竹原峠を結ぶラインはどうやら断層線のようである・・・

後日岐阜新聞に載った『ひだみの活断層を訪ねて』によると、このラインはやはり断層線で久野川断層なのだそうだ。
執幣峠方向 久野川断層(岐阜新聞・ひだみの活断層を訪ねてより)



麓近くまで下りたのに2年前にチャレンジして撤退したポイントは見つからなかった。2年前は途中で横道に入ってしまったとしか考えられない。しかし麓の和佐まで下りてみて驚いた。何と今年の春先にネットで大騒ぎをしていた「苗代桜」の看板があったのだ。
和佐の集落 苗代桜の看板


満開時の苗代桜、落葉時の写真がやや横長なので、縦横比がひしゃげてます m(_._)m 探してみると、すぐそぱにあるある、「苗代桜」が・・・葉を落とした苗代桜は、来るべき春を待ちわびるかのように枝を虚空へ伸ばしていた。

『苗代桜は薬師様の桜ともいい、毎年桜の開花時期が一定し、その美しい桜を見て里人が苗代(田植え)の準備を始めたことから名付けられた。樹齢400年といわれる2本の桜は吉野桜に属し、1本は目通り周囲3.8m、樹高約30m。もう1本は目通り周囲2.8m、樹高25mの巨木である。
 苗代桜は、近江源氏佐々木氏の末流三木四郎兵衛宗次が和佐へ移住したとき手植えしたものと伝えられる。 苗代桜は元は3本の姉妹桜だったが、昭和27年に1本が枯死し、2本が現在に残っているそうだ。』


苗代桜見学後、火打峠経由でデポ地点まで戻った。
苗代桜(マウスで満開)

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