第7回胃袋破壊ツァー
「新玉亭」リベンジオフ
&伊勢別街道

    (2007.1.20)   更新 2007.1.21 
新玉亭のうなぎ丼・特上大盛り
滋賀県の美富士食堂から始まった胃袋破壊ツァー。岐阜のみのや食堂、愛知の喫茶マウンテンと時計回りに来て、今回は三重県、うなぎの「新玉亭」である。

昨年末の正規オフに私は同僚んちの葬儀でドタキャンしてしまったので、今回はそのリベンジオフだ。写真を見てもわかるようにご飯の量がビビる大木なのである(゚o゚)



CAST
CAST
アンティーク超人、幹事、akutaさん ターミネーター・シルバー、 児玉さん
リハビリ星人、   九度山人さん 紀伊ハンター、   cancanさん
クラシカル青年、  TABOOさん 私こと、 ナワ〜ルド@峠おやじ
       ※称号は勝手に付けさせて貰いました m(_._)m 

コース    
関宿観光P→東海道関宿→伊勢別街道→椋本宿→窪田宿→津・新玉亭→安濃川沿いに戻る→椋本宿→東海道関宿→観光P

本編
3日前までは心配していた雨予報も好転し、関宿の観光駐車場に集まってみると、ドタ参のcancanさん、児玉さん、TABOOさんを加え、総勢6名という痒いところに手が届く人数だった。
関町営Pに集合



東海道・関宿
まずは関宿の地蔵院に行ってみる。境内には鹿の像がある。なんでも鈴鹿の由来となった首に鈴を付けた鹿(像には付いてなかったぞう)なんだそうで、そそのかしに乗ったcancanさん、鹿にまたがるなり
「お金を入れるとこがない」
とのたまう。完全に童心に帰ってるぅ(^^;)
関宿は東海道のなかでも古い街並みが残っているところで、電線も地中化にして景観保存に尽力している。
鹿にまたがる 関宿



そんな街並みを楽しみつつ関宿・東の追分まで来る。ここから伊勢別街道(いせべつかいどう)が分岐している。分岐点には常夜灯と一里塚、そして伊勢神宮式年遷宮のお下がり(^^;)の鳥居がある。今の建築物などもこういうリユースを考えた組織を作るべきだろうなあ。
関宿東の追分



東の追分から坂を下り、勧進橋で鈴鹿川を渡ると旧道が分岐する。その分岐点に「鈴鹿駅(すずかのうまや)跡」がある。大化の改新後、全国に駅制(うまやせい)がひかれた折にできたと言われる。そういえば地図を見ると、この付近の地名は古厩というようだ。

急坂を登り、名阪国道のガードをくぐると楠原である。ここも街道らしい家が残っている。林の集落まで来てちょっと休憩。昔の役場とも学校ともしれない建物が残っている。
鈴鹿駅(すずかのうまや) 林にある古い建物



椋本宿(むくもと)
椋本宿まで来ると、百五銀行の反対側に道標がある。ここで道が直角に曲がっており、ちょっした分岐になっている。道標は木製と自然石とがあって、自然石には「左さんくう道」「右榊原」と彫られている。

ここで直角に曲がった街道はさらにその先で直角に曲がる。大規模な枡形(ますがた)である。その角っこに古くて重厚な建物がある。旅館角屋だ。今日はめったに出ていないという暖簾(のれん)がかかっていた。横綱の綱のようなお飾りや伊勢講の講社名を書いた看板などが掲げられ、往事の伊勢参りを彷彿とさせる風情であった。そしてここは今も現役として営業しているのだそうだ(゚o゚)
椋本の道標
椋本宿の旅館角屋(かどや)



窪田宿の手前にあるOK牧場でトイレ休憩。お店のかたわらに「三匹のこぶた」が飼われていた。顔だけ見ると今年の干支のイノシシみたいだねえ。
OK牧場でトイレ休憩 もののけ姫か? 三匹のこぶた?



窪田宿
窪田宿まで来ると、大常夜灯がある。高さ8.6mとか。灯籠の竿の部分には江州と彫られ、近江商人が寄進したことがわかる。むかし人力でお灯明を上げていた名残が階段という形で残っている。もちろん今は電線をつないで電化されている(^^;)

浄土真宗・高田本山専修寺の門前町・一身田(いしんでん)はさすがに歴史のある街並みである。JR紀勢本線の一身田駅も木造瓦葺きに丸ポストというレトロさだ。専修寺の山門は京都東福寺の三門を模したものだそうで、相当でかい。別派とはいえ本山ともなるとさすがに違う。
窪田の大常夜灯 JR一身田駅
入り口近く 高田本山専修寺の山門



津市江戸橋
門前町の端にある銀行の角付近は高札場跡だそうで、石の道標がある。道標には「右江戸みち 左御堂及び京道」と彫られている。そこから津市の中心部へ行ったところに江戸橋西詰めの常夜灯がある。ここで伊勢別街道が終わり、その先は四日市から来た伊勢街道(参宮街道)に移る。
高札場跡 江戸橋西詰めの常夜灯



新玉亭
そして、とうとう着いたよ、新玉亭。緑色の建物ってのも変わってるね。12時半だったが迷うことなく3Fまで上がる。席は3割くらい埋まってるがこれで空いているという。でも見る見るうちに席は埋まっていった。

さあて、注目のオーダーだ。誰かが大盛りを注文しないと絵にならないと思い、今回のリベンジオフをお願いした私が代表?して1つ注文することに・・・店員のおばちゃん、さも不服そうに
「大盛りがどのくらい多いか知ってます?うちは残さず食べて貰うシステムになってますからお願いしますよ。」
しっかりと脅しをかける。
「まあ、きつかったら助けて貰いますから」
こちらも覚悟の上だ(~_~)

私のほかには病み上がりの九度山人さんが中盛りを注文。やはり先回来られなかった人は意気込みが違う(^^;)そうこうしているうちに中盛りと大盛り登場。
「おおお!」
「あれが大盛りだよぉ、凄いねえ」
周りの視線が一気に集中。メンバーのカメラも集中(>_<) 丼のふたもふたとは到底思えない位置にあるぅ(゚o゚)
新玉亭全景 記念撮影
新玉亭のうな丼、特上大盛り
前回の写真 大盛り一丁



さぁ、戦闘開始だ。しかし高々と積み上げられた御飯の天こつに乗っかったウナギという図は、あからさまにバランスが悪い。食べようと思っても喫茶マウンテンのかき氷のように雪崩が起きることは必定。そこで御飯を横から崩し、丼のふたで受けながら食べるという作戦で臨んだ。

始めのうちは着々と平らげていった。横に座ったcancanさんも「こりゃ行けるかも?」と思ったそうだ。ところが丼からはみ出した分を平らげた頃から急に気持ち悪くなり、ウナギだけ先に腹へ入れてから早々に援軍を頼んだ。並盛りのcancanさんに残りの7割、後の3割を中盛りの九度山人さんに助けて貰ってなんとか空っぽにすることができたv(^^)
戦闘開始
完食?



椋本宿
そんなお食事も終わり、帰りは行きと違って少し山沿いを北上した。こんな時季の季節風も酷くなくて良かった。椋本では名前の元となった椋の大木(ニレ科の落葉広葉樹)を見学。日本100名木だそうで樹齢1500年とか、根尾の薄墨桜といい勝負だ。

関宿の手前にある楠原付近もいい雰囲気であった。
椋本の大椋 楠原付近
楠原付近



東海道・関宿
最後は元の関宿へ戻ってくる。この宿場に保管してある山車(やま)の説明がふるっていた。
『狭い町中で軒先をかすめ、人混みをかき分けながら巡行する様から「この上はない、精一杯」という意味の「関の山」という言葉の語源になったという』

ここで朝食べ損なった銘菓「関の戸」を試食。微力ながら売り上げにも協力。途中で喫茶店に入らなかったので関宿内の和風喫茶店で仕上げ。美味しいコーヒーと甘いものは別腹のたい焼きで打ち上げをした。

企画・実行していただいたakutaさん、ありがとうございました。皆さん、またご一緒しましょうね♪
それではサヨナラ・サヨナラ・サヨナラ (^_^)/~~
関の山の語源 関宿・関の戸
喫茶店 最後のコーヒーとたい焼



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