峠おやじホスピタル 更新 2018.11..18

★肩鎖関節脱臼靭帯再建手術(けんさかんせつだっきゅうじんたいさいけん) 
プロローグ
2018年1月19日(金)

年末・年始と大雪になり、今シーズンはスキー三昧できると楽しみにしていたが、過ぎたるは何とやらで、降りすぎのため何度か行きそびれているうち夜勤明けの無理なタイミングで行くことにした。

たかすスノーパークでP泊をし、スノーパークから滑り出した。シーズン初日ということや3〜4kgの体重増などのマイナス要因はあるものの上から下まで一気滑りなどのパフォーマンスも健在。午前中の最後に隣のダイナランドへ行こうと思った。


アクシデント

ダイナランドに入って最初の滑り出しスロープで転けた。左上の斜面で左の板が引っかかった。そちらの板はすぐに外れたが、転ばない。その状態でストップできたら良かったが、スピードが出ていたので右ふくらはぎが肉離れするのを感じながら右の板をムリヤリ外して転んだ。

起き上がろうとしたら右肩がメッチャ痛い。倒れたとき右肩を強打したらしい。外れた板がその場で止まらず、ゲレンデ端の壁?まで滑って行くほどのアイスバーンにたたき付けられたからである。午前中でも、これは医者にみせるべきと即刻スキーをやめて帰ることにした。

肉離れした脚でスキー板を回収しに行ってビックリした。外れ方が尋常ではない。ビィンディングの後ろ側は外れておらず、前だけが縦に90度回転(ふくらはぎの肉離れをさせるような足の動きをさせて)して外れたようだ。

転倒したところは上方のゲレンデなので痛む足でスキー板をはめ、スノーパークへの分岐まで登ってからゆっくりゆっくり麓まで滑って下った。そしてそのまま車を運転して帰宅。シートベルトは肩に痛いし、ハンドルまで右腕を上げるのもつらく、ほとんど片手運転だった。


応急処置


家に帰って鏡を見て、もっと驚いた。肩の骨が真ん中付近でポッコリ飛び出している。こんなの見たことない。やっぱお医者さんだなと、椎間板ヘルニアの手術をした整形外科さんに駆け込んだ。

診察はいつもの院長先生ではなく、岐阜大学から応援?で来ているM先生だった。当然のようにレントゲンを撮って患部を確認し、肩を曲げたりして触診。
「亜脱臼ですね。僕も小学校のときにやりましたけれど、腕を三角巾で固定し、湿布を貼ってください。そうすると自然に固定し、治ってきますので3週間後にまた診せに来てください」
ということで、初三角巾。痛いことは痛いけれど普通に生活や仕事はできた。


経過・再発?

2月9日(金)
3週間後。肩の痛みはかなり薄れ、脚の肉離れも治ってきた。三角巾もここで取れた。順調といったところか?

2月23日(金)
また3週間後、肩の痛みはまだ残っていた。湿布に加え、塗り薬を追加された。湿布も強力なものにしてもらった。しかしその2つを併用したのがまずかったようで、肩の皮膚が炎症を起こして破れてしまった。

3月2日(金)
これは湿布どころではないので皮膚科に1ヶ月通う羽目になった。その間肩の治療?はお預けとなった(ToT)

4月半ばに皮膚が治ってきたので肩の治療を再開。肩の状態は
腕を上げるのが痛い(ヒゲ剃り、歯磨き)くらいで、骨の突出も目立たなくなっていた。院長先生の診察で、
「もう普通に生活していいですよ」
のお言葉をもらった。

しかし好事魔多し。それに安心して重いものを持った。10〜20kg位の水入りタンクとかバケツを。それが災いしたらしく、目立たなくなっていた肩の骨がまたの突出してしまった。
限定的な痛みはそのままなので再び右肩で重い物は持たないようにしだした。

5月15日(火)
しかし、そんなふうに右腕を使わなくなったせいか右肩真ん中から首筋にかけてが痛くなってきた。上を向くと痛いのと肩こりがひどい。そこで久しぶりに整形のリハビリにかかることにした。懐かしいリハビリ室に週2〜3回通うことになった。

リハビリに通ううち首の痛みは和らいできた。後は飛び出た骨と関節の痛みだ。そこで当初のM先生に相談すると
「手術して治す方法があります。大学病院の専門の先生に診てもらいましょうか。まずは予約をとって・・・」
ということで紹介状を書いてもらい、手術する方向へ進んだ。

6月27日(水)
いよいよ紹介された大学病院の診察だ。予約した11時30分から。肩の専門医T先生の触診などを経て、レントゲンやCTを撮った。そして診断。結果
やはり手術をすることになった。手術日は7月27日(金)に決定。全身麻酔で行うため事前準備で血液検査、尿検査などドックなみの検査も行った。そしてMRIも撮ることになって別の日に再診。

7月2日(月)
MRIと入院予約申し込みをした。入院は7月25日(水)。色んな説明を聞き、まだ3週間も先かと焦燥感にかられた。

入院・手術


7月25日(水) 入院
やっと入院当日になった。個室が空いていなかったため、とりあえず4人部屋へ入った。
夕方主治医のT先生から夫婦そろって手術に向けた概要を聞いた。肩の骨の乖離度はステージ3〜5(左下図参照)とのこと。結構いっちょ前やった。

手術は関節接点付近の骨を1cmくらい切って滑らかにし、切れた腱(靱帯)の代わりに自分の右腿から採った腱で骨同士を結ぶ靱帯再建手術をする。野球選手のトミー・ジョン手術の肩版である。ワイヤー固定(後に外す必要あり)もするかも、全身麻酔にて行うとのこと。

手術の説明書によると「烏口鎖骨靱帯(うこうさこつじんたい)-鎖骨肩峰靱帯(さこつけんぽうじんたい)再建」と書いてある。

ロケット砲のような装具(ウルトラスリング)は6週間装着。3ヶ月は運動禁止。全治6ヶ月予定とのこと。
 
 
 (肩鎖関節脱臼の医学的解説ページより拝借、私はVからXにあたる)
7月26日(木) 手術前日
リハビリの予定など聞きに行っている間に個室にルームチェンジ。手術前日の夕食まで食事は可能。夕食後下剤を飲む。飲み物は当日の6時まで可能。当日は香水など不可とのことなので、ひげ剃りを夜やっておいた。私ゃ若干皮膚が弱くてアフターシェーブローションしなきゃヒリヒリしちゃうんで。

7月27日(金) 手術当日
朝から絶飲食で8時30分からのオペに備える。女房と上娘が付き添いに来る。それまでの上下別のパジャマから浴衣様のワンピースに着替え。パンツは脱いでT字帯に替える。脚には血栓予防?の加圧靴下を履いた。

車いすに乗り手術室へ向かう。入り口で女房・娘に見送られて入室。オペは3時間30分かかる予定。迷路のような室内を通り抜ける。何人もの人々がいる。そう、ここは大学病院。患者も研究研修材料なのだ。

手術台に自分で乗る。点滴で麻酔薬が入れられ、酸素マスクをかぶされ間もなく意識がなくなった。

意識が戻ると、病室のベッドに乗せ換えられるところ。予定をオーバーして13時頃になっている。執刀したT先生いわく
「腿からの腱移植だけでワイヤーは使いませんでした」
ということは後日ワイヤーを抜く手間は不要になったのだ。良かった。丁寧にやったことで予定より長くかかったとのこと。

ベッドに乗せ換えられると、まずは肘に固定装具、ウルトラスリング(先生はスリングと言っている)をつけ、肩に腕の重みを加えないよう左斜め下になるようベッドメイキング。装具は6週間の予定。

それにしても麻酔が覚めないので身体が重い。1トンくらいあるように感じる。椎間板ヘルニアのときは手術前がチョー痛かったので目が覚めて「助かった」って思ったから雲泥の差だ。

それから怒濤の点滴ラッシュ。22時の消灯後も点滴は続く。内容は抗生剤や痛み止め、生理食塩水など。小水も管付きで時々排水量?を確認に来る。よって食事はなし。

しかし23時過ぎに腹が張って痛くなりだす。感触を確かめると胃のようだ。キリキリするような感じで、空腹によるものみたい。痛み止めの点滴を入れてもらう。


7月28日(土) 手術翌日
その後2度痛み止めの点滴を追加。
待望の朝食が出た。一日絶飲食だったので、飯はおかゆさん。小水管もついているのでベッド上で食べ、歯磨きもベッド上。その後T先生、O先生の診察。手術した肩と腿の傷口を確認し、絆創膏を代えた。たぶん採血もやったような・・・右脚、右腕、左手がダメなので左脚から。そういや血圧も左脚で計ったよ。

午後に小水の管を抜く。トイレへは行けるようになったが、点滴針が手に刺さっててパジャマの上げ下げができない。明日まではトイレの都度ナースコールだ(ー_ー)ヨタヨタと館内を歩いてみた。頼りない。距離50m程度か。痛み止めの飲み薬が出た。朝夕食後。

7月29日(日)
トイレ大達成。気持ちいい。でもまだナースコール付き。抗生剤の点滴が終わり、針を抜いた。これでパジャマの上げ下げもできるようになり、ひとりトイレが可能になったし、あれこれできるようになった。


経過

7月30日(月)
朝食後の歯磨き中に初お目見えの先生、O女医、T先生が室を覗き、
「どうですか?」「痛いところないですか?」
などと次々に現れた。最後にこちらを紹介してくれたM先生が
「良かったですね」
と満面の笑みで登場。ローテーショントークみたいで面食らった。

午前中にO副看護師長と手術後初シャワーに行く。装具(スリング)が濡れるとダメなので、2Lペットボトル4本を巻いて作った防水装具(右の写真)を肩からぶら下げ、間に肘を入れてシャワーした(これに包帯をつなげて三角巾のように使う)。

傷口の上からもドンドンシャワーをかけられる。傷口に貼られた絆創膏は防水タイプのもののようだ。そういえば全く空気に触れないほうが傷の治りが早いってテレビで言ってたわ。シャワーの最中に副看護師長さんが聞いてきた。
「教授回診ありました?」
えっ、あの四人がそうだったの?
女房に話したら
「白い巨塔みたいやね」
えらく古い話を出してきたので笑ってしまった。試しに何度かググってみたら、ちゃんとした情報が出てきて面白かった。

午後は初リハビリ。手や腕の曲げ伸ばし中心。なまけものか太極拳のようなゆっくりしたスピードで動かす。しかしこの理学療法師さん、若くてキリッとした美人なのでいいような悪いような・・・嬉しいことは間違いない(^^;)

7月31日(火)
足がむくんできた。腱を抜いた方なので何らかのトラブルなのか?リハの時に例の美人理学療法師、Hさんに相談すると
「もっと歩いてください」
とのこと。ムチ打つなあ(--;) ほかには足を高くして寝るとか足首を曲げたり教わったけど・・・

8月1日(水) 入院後1週間。
午後はいつものようにリハ。ゆっくり40分以上やって帰ってくる。大橋整形だと20分くらいしかやらないからお得感満載。イタ気持ち良いやらアレコレお話もしながら毎日至福?の時間である。しかし腕の筋肉が固まってしまわないように肘支点で腕の回転運動10回程度を朝昼晩と装具付属のボールのニギニギ運動はできるだけやることというミッションが下りてしまった。

8月3日(金) 術後1週間
今日は午後にシャワーがあった。「見守り」と称してどこまで独りでシャワーできるか確認するらしい。頭・顔・首・前身頃・鼠頸部・尻・前腿・膝は可能だが、腕・手・脇・背中・後腿・ふくらはぎ・足はムリィ(ToT) まあ、どのくらい入院させてもらえるかわかんないなあ。

シャワーを出るとレントゲン撮影。術後1週間のことだけはある。同時にリハからも出動要請があって往生こいた。

夜、寺林先生が部屋を覗いた。レントゲンを撮ったのでその画像をプリントしてくれた。術前術後画像ともくれたのでわかりやすかった。左が術前。鎖骨と肩の骨の乖離があります。右が術後。ちゃんとくっついてますねv(^^;)




8月9日(木)入院病棟の端っこに「リフト付き浴室」がある。寝たまま入浴できる設備だな。椎間板ヘルニアのときに「ハーバード」なる似たようなお風呂に入れられた経験があるのでO副看護師長さんに聞いてみた。「低血圧症」の方などが対象になるようだ。


8月11日(土)
主治医のT先生が休暇から戻ってきたのか18:30に回診に来た。肩の絆創膏をはがすと表皮部分が少し膿んでいるようとのことで、処置室へ拉致される。麻酔をかけて切開し膿を出しておくとのこと。膿の液を分析して菌の特定をするのと、抗生物質も飲むことになった。症状の正式名称は、皮膚膿瘍(ひふのうよう)か。

アクネ菌とかニキビ菌のような表皮細菌の類らしい。手術後に表皮で膿むのはレアケースだという。やはり皮膚が弱いということだ。


8月12日(日)
今まで左手しか使えないので食事はフォークとスプーンを使っていた。今度こそ息子みたいに左手で箸と思ったが、ダイニングルームにある箸はツルツルで滑ってムリやった。割り箸なら何とかなるやろうと夕食から左手でトライしてみた。ご飯は取りにくいがオカズは結構いける。引き続き頑張ってみようと思う(^^;)v
夕食後の18:20またT先生が病室に来た。
「昨日のとこを処置しますので処置室へきてくれますか」
また拉致されてイタイ目に遭った。
「明日は血液検査を受けてもらいます。場合によっては抗生剤が点滴になるかもしれません。」

8月13日(月)
18:30過ぎ。三晩続きで処置室に拉致された。
毎晩毎晩麻酔なしで痛いことをされる。しかも痛さがエスカレートしていく。そして明日から抗生物質は点滴だと。

8月14日(火)
本日から
1日3回点滴とのこと。点滴の最中に血圧測定。右脚は腱を抜いて痛いので左脚で血圧を測った。これも圧迫されすぎてチョー痛い(T_T)
11:00 T先生がお仕置きに・・・ガーゼを替えるとか。だいぶ赤みは減ってきたもののまだ浸出液があるのでガーゼで吸い出すんだと。ガーゼを抜くとすぐ傷口が閉じちゃうとのこと。やっかいやあ。


8月16日(木)
10:00 東棟へ引っ越し。大学構内や金華山も見える明るい部屋になった。しかし西棟の看護師さんとはお別れ。寂しい。何日か継続するうち点滴の落ちが遅くなってきた。30分で終わる予定が1時間から1時間半かかったりするのでかなわない。


8月17日(木)
あまりに遅いこともあったからか明日から抗生剤を飲み薬に変えるとのこと。やったぁ\(^o^)/


8月19日(日)
お仕置き部屋でO女医先生いわく、昨日はドクターヘリの出動が3回あったとか・・・循環器系の患者だそうで高山には循環器系の病院がないので搬送されてくるらしい。観光都市・高山にしては寂しい話である。富山の方が近いけどなあと思ってしまう。

11:20館内放送でオルゴールのような音楽がかかった。耳をすますとユーミンの「恋人はサンタクロース」だった。珍しいな。病院でこの手の選曲はと思った。次にかかったのもユーミン。曲名は思い出せなかったが、どっかの離島にある高校がユーミンに依頼してできた校歌じゃないかな?検索してみたら、たぶん合っている。
「瞳を閉じて」だった。そういえば朝にも館内放送で消防でテストをやるって云ってたわ。



8月25日(土)
中日花火大会実況生中継を病院でやった。岐阜製版という会社(長良福田町1-30長良西校下)が250インチパネルのLEDを玄関の待合室ホールにセッティングしての中継だ。ピン甘で暗さが足りないような気がした。しかしさすが中日花火、見たことのないような花火がけっこうあった。



8月27日(月)
月曜日恒例の教授回診があった。T先生「傷口にはピンホールほどの穴が残っているだけ」と言っていた。


8月29日(水)
8:40 T先生回診。夜中、手が血行不良になったと話したら寝てるときは装具のロックを一部外していい旨言われた。そろそろ腕を上に上げていく段階にとカンファンレンスしたところだそうだ。そして来週装具を外したあたりで退院云々という話になってくるとのことだ。昼食は天ぷら定食? エビ2 キノコ2 オクラ1 天つゆに大根下ろしまでついている本格的なもの。それより赤飯だったので完食してしまった(^^ゞ



9月1日(土)
本日はリハとお仕置きのみ。T先生とO女医先生、退院後の通院や生活について聞いた。運転はすぐできるとのこと。あとは500g〜2kg程度の過重までは良いとのこと。完治は6ヶ月後の予定。


9月4日(火) 台風21号襲来
7:20 地上ではあまり風が吹いていないように見える。たまに高木がざわついているのは見えるが、継続してないからかえって気持ちが悪い。台風の進路は東よりになり、琵琶湖直撃コースのようだ。タワー43や金華山が見えなくなり 9:00には雨が降ってきた。風雨という表現が当たる雨だが、ほんの2〜3分で止んだ。通り雨か。それでも遠方が曇って霞んでいるので続々と雨雲が襲来するといったところか。
13:00過ぎ 雨風だいぶ強まったので動画を撮った。



15:00過ぎ イヨイヨ台風らしい風雨になってきた。すると館内放送で
「患者様にお知らせします。ただいま7階食堂の窓が壊れています。食堂に入らないようにお願いします」
えええっ!である。氷もお茶も入れにいけないやん。そんなウツな気分で遠くを見ると大学への入り口道路付近で赤色灯がいくつも回っている。店のではない道路公団とか警察のアレである。冠水とか通行止めにでもなったのかいなあ。翌日、停電によって信号が消えたらしいと判明。館内から東のグラウンドを見ると、この風雨のなかテニスコートに4人もいる。ビーチバレーみたいに蹴鞠をやっていた(゜o゜) どこにも気違いみたいな奴はいるもんだ。
17:30 リハビリが終わる頃、風雨はすっかり止んでいた。こんなことならありがたいわ。その台風も日本海に抜け、金沢あたりまで行っていた。


9月5日(水)
9:00 アナウンスがあった。
「台風21号による停電により大学前の院外処方箋で一部処方できない薬があります」
とのこと。停電によってできない薬とは?それに停電があったのか?そういえば昨日電気が二度ほどチラチラした覚えがあるし、大学前にパトカーらしきものが来ていたのは停電で信号が消えていたということだった。自宅は停電しなかったが早田・高富・鷺山などが停電したという。退院に向けてM看護師が「退院後の安全な生活のために」とのレジメをくれた。「鍵板断裂、脱臼」にあたるので肩に負担のかかる動作や重量物(〜3ヶ月500gまで〜6ヶ月1kgまで)制限あり。抱き枕写真もあった。


9月6日(木)
6:40 明日の退院に向けて、いつもは金曜日にやる血液検査を本日木曜日に決行。11:00 同じくレントゲンも予告されたので早めに終わらせとく。
シャワーが2日おきなので昨日入ったから次は土曜日。でも背中や左脇を洗わなければシャワーを出てからヘルプしてもらうだけなのでN看護師長さんにお願いして入らせてもらうことに。それでも昼間ということで15:00にされた。退院が決まると待機患者がいるらしく、病院側としてはできるだけ早く午前中に出てもらいたいらしい。でもそれでは女房が混雑した駐車場に入りにくいし、入院のときも午後からだったので14時退院にしてもらった。


9月7日(金) 退院
8:30 リハが終わって装具のクッションを外した。いよいよ退院に向けてカウントダウン。荷物も整理し終わり着替えも済ませた。昼食が終わってしばらくして女房が迎えに来た。一緒に東棟のナースステーションに挨拶に行った。N看護師長さんはしきりに
「長いこと良く頑張られました」
と言われた。45日間という入院期間は長い方らしいからだ。また前半を過ごした西棟のナースステーションにも挨拶に行った。O副看護師長さんが丁度いたから良かった。

そして退院手続きと支払いを終えて娑婆に出た。長かったような短かったような入院だった(^^;)

リハビリ


治療変更


最新状況




総括&反省



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