峠おやじホスピタル   更新 2001.1.15

★椎間板ヘルニアは痺れるでえ! 
腰痛、ぎっくり腰、二足直立歩行をする人間にとって宿命といえる病気である。神経をやられるので蛙の解剖をした時の足ピクピクと思ったらわかりやすい。                               


姿勢が悪いのが原因

元々私ゃ姿勢は良かったし、ぎっくり腰にならないよう立ち腰で重いものを持ったりするようなことはしなかったので太股が痛くなりだした時はまさか腰とは思わなかった。しかしNHKの「ためして合点」でも放送していたように普段の何気ない姿勢の中に腰を悪くする要因があるようだ。私の場合、椅子に座ったまま床に置いた外交カバンから集金したお金や伝票などを頻繁に取り出していたこと、重い両替金を自転車に乗せるときの姿勢などがダメだったんだろうね。


太股がだるい

昭和64年元旦

冬場家の近くでウォーキングをしたりして鍛えていたつもりだったので初めは筋肉痛かと思っていた。しかし太股がえらくダルヤメしたのだ。

1月3日
25sほどあるオープンリールテープデッキを持ち上げたときに腰にピリッと痛みが走った。
1月5日
歩くのが苦痛になる。
1月7日
丁度昭和天皇が崩御されたということで全国的にお店などが営業自粛となったに整形外科に行ってみると「腰が弱っている」というご宣託であった。

腰骨同士をつなぐジョイント部にある椎間板(軟骨)が所定の位置からはみ出し(ヘルニア)、脊椎を走る神経を圧迫するため、その先にある足に痛みが走るというメカニズムだそうだ。



 諸悪の根元、除去した軟骨



足が痺れて寒い寒い

1月10日
その後もどんどん症状が重くなり、直立していることが困難になったので欠勤せざるを得なくなった。痛みはコブラ返りがずっと連続しているようなもの。
1月14日
トイレ座りしても激痛が走るようになった。起きていられなくなったのである。寝ていても足先・太股など感覚が無くなりつつあってとても寒い。痛みは仰向けに寝ても襲ってくるので、横向きに寝るしか術がない。
1月18日
とうとう入院する羽目になった。


手術

入院してブロック注射や骨盤牽引・マッサージ治療など行っても焼け石に水。4つんばいでしか動けないような状態では人間じゃない。こうなったらどうなろうと手術しかないと決意するのに時間はかからなかった。

1月25日
手術予定者のキャンセルに乗じて手術敢行。背中から切って背骨を割り、はみ出ていた軟骨2ヶ所を除去。骨盤の骨を少し取ってきて腰骨を嵩上げしてクリアランスを作り、元に戻して背中を縫合するという手術だった。帰ってくるまでに5時間くらいかかったらしい。

本人は手術室に入って麻酔ガスを吸って病室で目覚めるまで完全に意識はなく、目覚めると痛みがなかったので『ああ、助かった』と思っただけだった。むしろ手術を含めた長期入院に備えて急遽仕事の引継書を大学ノート1冊作成した事の方がよほどしんどかった。


リハビリ

みんな何度も通院・入院して苦労した後で手術するらしい。私の場合いきなり手術してしまったけれど、脊椎内の神経は圧迫で融けかかっていたようだから適期であったわけだ。

それまでに痛みを感知しなかったのはひとえに身体が頑丈だっただけに過ぎない。頑丈でも逝かれるときは同じである。むしろ頑丈すぎて痛みという危険信号にも無理ができてしまう方が問題である。スポーツ選手が早死にするのにはこんなところに原因があるのかもしれない。何事にも無理は禁物である。

何はともあれ術後の点滴6連発やマカロニ状態(点滴・小便管各種観測機器コードが身体につながった状態)を脱すると、ベッドに寝たままで腹式呼吸などのリハビリを課せられることになった。

2月5日
術後10日。抜糸も終わり、同時に点滴も終わる。しかしまだ寝たままなので辛いのは下のこと。おしっこは尿瓶。ウ○コは尻の下に新聞紙を敷いてする。当然チ○コも肛門様も丸出し。子供が小さかったので世話は付き添い婦さんに頼んだのだけれど、手術のときにうら若き?看護婦さん達にも見られてるわけなのでもう恥も外聞もなくなっているのだ(--;)

2月10日
術後15日。初めて風呂に入れるようになる。大きな投網状のハンモックが付いたクレーンで浴槽に入れて貰った。豚カツにでもなったような気分だが気持ちよかった。このお風呂の名前?ハーバードだって。寝たままの状態で入れられるよう(ハーバード大学で)考案されたんだって!


寝たきり状態でも本が読める書見台
        ↓

何日も寝てると床ずれもしてくるのだ


ギブス(石膏)

2月25日

術後4週間。ギブス(石膏)を胴に巻く。手術前に型はとってあるので2つを合体させて出来上がりである。人間ちくわの芯状態かな?ギブスを巻いた翌日1ヶ月ぶりにベッドの上で起きあがる。1ヶ月間心臓は高いところまで血液を送ってなかったので頭は一瞬貧血状態でフラ〜ッとする。地球の重力は凄いものだ。午後にはつかまり立ちでやっと人間状態になった。これでウ○コもシッコも自由に出来るぞ。

ギブスは石膏なので風呂のときは大変である。ビニールのゴミ袋でギブスの裏表を覆って入浴する。ギブスに覆われている部分にはタオルを通して身体を洗うというわけだ。しかし週に2回の病院風呂の日は皆が待ち遠しい日であった。こんな頃昭和天皇のお葬式、大喪の礼が行われた。


コルセット

3月25日
術後8週間。重いギブスともおさらばだ。
しかし人工的に骨折させてある背骨と内部を守るためにギブス(石膏)の次はコルセットを巻かねばならない。締め付けることに変わりはないが、覆われている面積が小さい分気持ちがよい。病室から出てリハビリ室でマッサージやリハビリ運動をするようになる。3ヶ月近くなると万歩計を借り、病院内外を散歩するようになる。

3週間に一発ブロック注射というぶっとい注射を尾てい骨に射たれる。メチャメチャ痛いけど、注射液が脊髄の中にそそぎ込まれる感触はとっても気持ちいい。何だか癖になりそうな妖しい感覚である(--;) しかしブロック注射の後は体調も概ね良くなるので嬉しいのだ(^^ゞ

7月8日
この病院の普通コースは4ヶ月で退院する。若い人では2ヶ月半、3ヶ月という人もいる。私は手術前は長く患わなかったが、術後は妙に調子が悪かった。ということで退院は7月8日。結局半年近くかかってしまったのだ。


おまけ

男性の椎間板ヘルニア患者は例外なく喫煙者であった。術後も吸っているし、痛い痛いといいながら喫煙コーナーに這ってくる患者さんもいた。これを見るとタバコを吸ったから病気になったとはいわないけれど、ちょっと不気味な感じがした。そして1ヶ月間の寝たきり状態のときを逃すと一生タバコ漬けになると思ったので手術を機会に禁煙した。

私は1日70本のチェーン・スモーカーだったのでヘルニアがなかったらとっくの昔に肺ガンで死んでいたかもしれない。また最近の発表によると喫煙者と腰痛には因果関係があることも証明されているそうだ(ー_ー)

病院も手術をすると健康保険などから金が入るもんだから手術というと院長はにっこりしている。私の手術は推定100万円の収入になっている筈。その代わり術後の患者は早く退院させて新たな患者を入れたいからか院長は「大丈夫です」を連発する。そして退院する素振りをちょっとでも見せようもんなら婦長がすぐに飛んできて「おめでとうございます、何日が日がいいですよ〜」って言うのだ。



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