主寝坂峠 (しゅねざかとうげ) 416m (2009.9.20) 地図  

山形県金山町主寝坂−真室川町(まむろがわちょう)及位(のぞき)
山形県金山町主寝坂と真室川町及位の間にある国道13号線の旧道峠である。

のっけから意味深かつ変梃なネーミングのオンパレードである(^^;)
まずは峠の名前の主寝坂である。金山町側にかつてあった主寝坂地区に由来している。伝説では、江戸時代初頭に、戦を逃れた矢島藩(秋田県由利本荘市旧矢島町)の姫君とその従者が逃避行の最中、雷雨に見舞われ、峠の頂上近くにあった洞穴で関係を持ったことから付いたといわれる。

小説家とか大衆が喜びそうなエピソードである。しかしこういう話はたいていウソだ。「しゅね」という地名に適当に当て字をした。そして後世の人間が漢字の字面からアレコレと妄想したものが一人歩きした結果なのである。
新・旧国道の分岐



案の定「しゅね」に近い音に起源する説もあった。峠の真室川町側の麓にある集落・塩根川の転訛に由来するというものだ。こちらの方がよほど信憑性が高い。山里に塩根川だって単なる当て字なんだから問題はない。それにここは山形・秋田の県境。発音だってズーズー弁だから、どれが本当かわからないのである。

さて、真室川町は有名な真室川音頭がある土地。そして麓にある及位(のぞき)にはJR奥羽本線の及位駅もある。くだんのエピソード風に妄想を逞しくすれば、関係を持った主従を覗き見た土地とでもいうことだろうか?

何はともあれ、現在の主寝坂には明治時代に造った車道の峠道、戦後にできた国道トンネル、そして平成にできた新主寝坂トンネルの3本がある。したがって国道からまずは旧道に入る。旧道にも国道13号線の表示がある。金山町主寝坂の地名もね。登っていくと昭和のトンネルが出現する。そして手前に明治の車道が分岐している。

トンネル手前にいまどき珍しい電話ボックスがあった。土台に階段が付けてあって、おおよそ1mくらいの高さになっている。それだけ積雪があるってことなのだろう。これは半端ねえ!国道13号線という大動脈なのに雪や大雨で交通途絶する可能性が高かったということだろう。

国道13号線と金山町主寝坂の表示 昭和のトンネルと明治の車道
主寝坂トンネル 地上1mの高さにある電話ボックス



さて、いよいよ旧道へ突入する。舗装してあるのは始めの10m程度。その先は草付きダートである。まずは大きくカーブしてトンネルの上へと回り込む。

旧道へ突入(6:26) トンネルの上へ回り込む(6:30)
旧国道を見る



旧車道を登っていく。すべてダートかというとスイッチバックするヘアピンカーブだけが舗装してある。雨水対策か、それともスリップ防止だろうか?まわりはブナだかシラカバだかわからない木々で鬱蒼としている。

ヘアピンカーブだけ舗装してある(6:33) ブナかシラカバか?(6:42)



さらに登っていくと人工物があった。峠かと色めきたったが、国土交通省の主寝坂雨量観測所だった。ここもまだ山形県なので最上川水系だ。

国土交通省の雨量観測所(6:44) 最上川水系真室川というのが面白い



そして峠と思われる空間に到達。しかし、道は登っている。それこそ今までのスイッチバックのように。しかし、角っこに朽ち果てた木柱を発見。マイクロ無線中継所と書いてある。これで決定。ここが峠である\(^o^)/ その先、真室川側は廃だった。どのくらい廃かというと、私と全く反対側を探索した人のレポートがあるから参考にしてほしい。

峠と思われる空間(6:49)
単なるスイッチバックか?     マイクロ無線中継所の木柱
主寝坂峠
これで決定。ここが峠\(^o^)/



では、いつものように旧道の動画を。




国道まで戻って、主寝坂トンネルを抜けた。真室川側へ出ると、道の脇に旧道らしきスロープが見えた。これは旧道との連絡道だったかもしれないが、実際の旧道でなかったことは先の廃道レポートでも確かである。

主寝坂トンネルを抜けた。真室川側 道の脇に旧道らしきスロープ



下っていくと、主寝坂と書かれたかつてのドライブインらしきものがあった。廃屋になつているけれど、看板も健在で当時は羽振りが良かったと思わせるものだった。ここには橋がかかっていて麓の集落が見えた。

主寝坂ドライブイン?
橋から見た麓 麓の看板



麓に下りると、新主寝坂トンネルの道との合流点が出てきた。ここで峠道は終わりである。

最後に及位駅を見に行った。何の変哲もない駅だった。

新主寝坂トンネルの道との合流点
及位駅



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