山形県金山町(かねやままち)飛森(とびのもり)−金山町金山
山形県金山町飛森と金山町金山の間にある国道13号線・旧道羽州街道の峠である。 |
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薬師山の手前から旧道へ |
羽州街道はくっと屹立した薬師山の手前からその鞍部を越えていく。しかし国道のルートの方がはるかに楽そうなのに、何で羽州街道は峠越えをしたのだろうか?
旧道との分岐 | 旧道へ入る | |
旧道は通行止め | 旧道と国道の切り通し部分 |
旧道を登っていく。切り通しを抜けた国道はここから下っていくようだ。そしてその先にうっすらと山が見えた。この谷を下っていた方が遙かに楽そうなのだがなあ!でも昔は湿地とか危険な谷があったのかもしれない。谷筋の地名は飛森(とびのもり)。山内和幸先生の「地名由来 飛騨・美濃」によると「トブ」は「山崩れ」を意味するそうだ。つまり崩落地帯。そんな危険箇所は避けて街道を通すのは当然のことである。その結果、峠越えになったわけである。
旧道を登る | 国道越しに、うっすらと山が見えた |
少し登ると、石碑があった。何となく峠っぽい。鞍部といえば鞍部だが、まだ道は下っていかない。落ち葉散り敷きの道が続いている。
そこで、ふたつの石碑を確認してみると、ひとつは短歌だった。
「夕日影 沈まんとする 大空に 月の山こそ あらはれにけり」であろうか?
何かある・・・ | 石碑だ | |
ふたつの石碑 | 短歌の碑 | |
落ち葉散り敷きの道 |
もうひとつの石碑には田山花袋がこの峠道で「月山を見て感動した」と書いてある。しかしここから月山なんか見えやしない。南側にある薬師山が邪魔しているからだ。ここから展望が利くのは西方のみ。だから私は内心忸怩たるものを秘めて辞去した。しかしこのレポートを書こうとしてカシバードを開いてみると、案の定である。月山は峠道から見えた。しかし石碑があった場所ではなく、国道の切り通しやその先の「かすかに山が見える」と書いた、その山が月山だった。
金山町もいい加減にしてほしい。見栄えの良いところに石碑を立てたって月山が見えなきゃ何にもならないでしょ!その場に立って石碑を見てる者にとっては「見てきたような嘘」をつかれたと同じことなんだよ。いい加減にしてよ、金山町。帰った後で気が付いても後の祭りだよ。田山花袋が感動した月山。現地に立ち、自分の目で見て初めて共感できるのではないだろうか?だからこの石碑はとても罪が深い!せっかく現地に来て感動できる条件が揃っているのに、わざわざ外してくれるとは・・・
月山を見て感動した田山花袋 | ||
石碑の場所 |
そのまま道を進む。先ほどの落ち葉散り敷きの道である。するとまた峠らしき場所が出てきた。こちらの方が如実に鞍部らしいし、その先で明確に下っているので、間違いなくここが峠であろう。
ここにも石碑がふたつある。やはり歌碑と解説文っぽい。
たぶん峠 | ||
ここにも石碑ふたつ | 峠 |
解説文によると、これは秋田藩主・佐竹義和公の歌碑だそうだ。あいにく歌心は持ち合わせていないし、うまいのか下手なのかもわからない。
佐竹義和公の歌碑の解説文 |