早田川(そうでんがわ)

   更新 2020.5.15   
国土地理院地図
岐阜市を流れる長良川の支流のひとつに早田川がある。長良のメモリアルセンターから早田、則武(のりたけ)を経て長良川の支流・伊自良川(いじらがわ)に合流する一級河川である。

今でこそ町中の排水用の河川になっているが、その流路はもともとの長良川である古川の跡地を辿っている。正木川
(まさきがわ)が古々川の跡を流れているのに対し、早田川は古川すなわち元の長良川本流跡を流れている。

古川を締め切った跡地はメモリアルセンターや学校などの公共施設が建ち並んだ地域になっている。
一級河川、早田川の看板


証拠物件としては正木川の解説に出てきた長良川改修記念碑の案内図。そしてもっとわかりやすいのが道三塚(斎藤道三)にある案内板だ。長良川は当時の流路のように流れていたが、1535年の洪水で井の口(いのくち)と呼ばれていた稲葉山城下の井水口(いすいぐち=用水取水口)を破ってできたのが井川、現在の長良川の流路である。
道三塚の案内板にあった長良川の戦い時の地図
 
 現在の早田川 (国土地理院図)


さらに1611年、江戸時代の洪水により下図の古々川が分派した。改修記念碑の横にある解説板は下記のとおりである。
長良古川・古々川の締切り解説板

長良川上流改修記念碑
古川・古々川締切堤のプレート(バックは都ホテルと記念碑) 記念碑から見た長良橋と金華山・岐阜城


早田川の源流部を探ってみると、メモリアルセンターから出ているようだ。メモリアルセンター内は新型コロナウイルス過で閉鎖されており、探索できないのが悔しいので、暗渠が確認できる日産自動車金華橋北店前(1)からトレースを開始した。

日産自動車裏で暗渠は道に沿ってクランク状に曲がる(2〜3)。そしてディーラーの駐車場、民家の前(4)を進む。
日産自動車金華橋北店からメモリアルセンターを望む    日産自動車金華橋北店前の暗渠
暗渠は道に沿ってクランク上に曲がる
駐車場前 民家前を進む 



伊吹寿し(5)の先で早田川はやっと暗渠から顔を出す。顔を出したところ(6)に鷺山変電所がある。多くはないが水の流れもあるので川らしくて嬉しい(^^;)

ゆるやかに西進する早田川は岐阜県中央子供相談センターと福祉友愛プールの横を進む。
早田川地図(図内の数字は写真撮影地点)
伊吹寿しの先で暗渠から顔を出す 顔を出したところにある鷺山変電所
岐阜県中央子供相談センター横
福祉友愛プール横



福祉友愛プールの先で川はクランク状に曲がる岐阜県福祉友愛アリーナ(昔は市立伊奈波中学校だった)の敷地を迂回するように曲がる。クランクの反対側に早田小学校もある。つまり古川の跡地は公共の福祉施設や学校などに利用されているのだ。
岐阜県福祉友愛アリーナ前でクランク状に曲がる クランク状に曲がる
クランク状に曲がる 反対側に早田小学校



引き続き、福祉施設の希望ヶ丘こども医療福祉センター前を流れる。行く先に早田西公園が現れる。そこに面白い施設があった。
早田西公園(左)と希望ヶ丘こども医療福祉センター(右) 早田西公園脇


早田川から公園内に水を取り込んだ親水エリアを伴った遊水池である。遊水池のほとりに「コミュニティ水路 早田川」の石碑があった。高低差の少ない小河川にこういう親水エリアを兼ねた遊水池を作るのは治水上からもとても良い施策である。
早田川から水を取り込んだ遊水池 「コミュニティ水路 早田川」の石碑
遊水池全景  遊水池から早田川へ排水


早田川は早田西公園沿いにまたクランク状に曲がる。その先にあるのは県立岐阜商業高等学校である。学校などの土地確保のためにこのような形状にしたのだろうか?早田川は早田西公園(テニスコート)と県岐商の広いグラウンドの間を流れる。甲子園の常連校で高木守道や和田一浩が育った学校である。
またクランク状に曲がる 早田西公園と県立岐阜商業高校の間を流れる
県岐商グラウンドの角で直角に曲がる  早田川の看板



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