正木川

   (2007.11.23)  更新 2007.12.2  
岐阜市を流れる長良川の支流のひとつに正木川(まさきがわ)がある。

長良から鷺山・正木を流れて長良川の支流・伊自良川
(いじらがわ)に合流する一級河川である。今でこそ町中のどぶ川のようなものであるが、その流路は戦前、長良川が岐阜市に出てきたところで分派した扇状地河川のひとつ、長良古々川の名残を残した河川なのである。
一級河川、正木川の看板


まずはその証拠物件。長良川改修記念碑である。長良橋の川下、岐阜都ホテル前の河原に下りてみる。長良古川・古々川締切堤の碑のプレートが護岸の中に埋め込まれている。そして堤防上には長良川上流改修記念碑が立っている。記念碑に書かれた名前は有名どころでは、ときの総理大臣、原敬・田中義一・齋藤實・廣田弘毅・岡田啓介・近衛文麿・平沼騏一郎。こんな人たちが名を連ねる国家事業であったのだ。
長良川上流改修記念碑
古川・古々川締切堤のプレート(バックは都ホテルと記念碑) 記念碑から見た長良橋と金華山・岐阜城



改修記念碑の横にある解説板は下記のとおりである。締め切られた長良古川・古々川の河川跡地は国際会議場・岐阜都ホテル(旧長良中学校)、メモリアルセンター(旧岐阜県営グラウンド・中部未来博覧会跡地)、稲葉中学校、県立岐阜商業高校、岐阜北高校、明郷中学校、マーサ21などに利用されている。
長良古川・古々川の締切り解説板



では、その名残を残す正木川。記念碑の前からとりあえず源流部へ・・・

正木川の源流部を辿ってみると、その水路は岐阜グランドホテルから流れ出ているように見える。念のためグランドホテル裏のドブを川上へ行ってみると、アピ長良川リサーチセンター(旧岐阜長良川ハイツ)横の堤防際が最終水路のようだ。
岐阜グランドホテルが源流?    念のためグランドホテル裏のドブを川上へ辿る
どぶの川上はアピ長良川リサーチセンターへ アピ横の堤防際水路が最終水路か?



ということで、本格的な水路である岐阜グランドホテル下から水路を辿る。

グランドホテル下を出た水路は民家との間をいきなり曲がる。先へ行ってみると、若宮墓地の間を流れ、すぐ暗渠に入る。道を潜り、反対側を堤防横まで行き、堤防に沿って道路下を下る。
岐阜グランドホテル下の水路 若宮墓地の間を流れ
すぐ暗渠に入る 道を渡り
反対側を堤防横まで行き
堤防に沿って道路下を流れていく



堤防に上がるスロープまで行って、その下を潜ると、暗渠から顔を出す。クランク状に曲がった後、しばらくは住宅の間を流れていく。
スロープ下を潜る スロープ下から出て暗渠からも顔を出す
クランク状に流れる 住宅の間を流れていく



長良中町付近まで来ると、また暗渠に入る。中町(旧高富街道)を越え、国道256号線を越える。暗渠のまま水路は進む。
中町付近で、また暗渠に入る 国道256号線を越える



暗渠を辿っていくと、長良川球技場の看板が出てくる。昔の岐阜刑務所(改修記念碑の横にある解説板、福光の文字の横辺り)跡地である。

そのまま進むと、水路は鷺山本通(さぎやまほんどおり)の道と出会う。その交差点を北へ1本入ったところに道三塚がある。司馬遼太郎の「国盗り物語」などでお馴染み齋藤道三最後の地といわれている。解説板にあるように当時ここは川端であった。
長良川球技場の看板が出てくる 鷺山本通の道との交差点を北へ1本入ると
道三塚がある



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