境明神(東山道) 480m (2007.10.16) 地図
栃木県那須町追分と福島県白河市旗宿・白河の関との間にある県道76号・坂本白河線の峠である。 白河の関があることからもわかるように、ここは律令制の頃の官道・東山道が通っていた。先に行った富士見峠が奥州街道であったが、奥州街道は江戸時代の五街道で、古代に造られた東山道とはルートが違うところが多いのでややこしい。 そう言ってる私でも、国道294号線にある道の駅「東山道伊王野」を見て、栃木県にも東山道が通っていたことを思い出したくらいであるから、思い切りマイナーな存在には違いない(^^;) |
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道の駅「東山道伊王野」 |
その伊王野で国道294号線から分かれ県道28号線に入る。そして坂本で60号線、東梓で県道76号線の方向へ行く。
五街道以前の官道であるため、金売り吉次に連れられて奥州平泉に行ったという義経伝説もアチコチに残されている。また昔の官道であるためか傾斜も大したことはない。
県道76号線方向へ行く | 義経伝説も残っている | |
義経伝説の五両沢 | 傾斜も大したことはない |
そうこうするうちに峠に着いた。ここは栃木と福島の県境というだけでなく、関東と東北(奥州)との境である。そんなこともあってか、峠には境の明神として「追分の明神」が祀られている。かつては奥州街道の境明神のように峠の両側に明神社が並立していたそうだが、現在は栃木県側だけが残っている。
境の明神(峠)にある「追分の明神」 |
この追分の明神は住吉玉津島神社と書いてある。山中であるにも関わらず、どうして住吉とか玉津島なんて航海に関係しているような神様が祀ってあるのだろうか?
奥州街道の境明神の解説によると、玉津島神社(女神:衣通姫)と住吉神社(男神:中筒男命)は国境と和歌の神様で、女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という役割を司っている。このため陸奥・下野ともに自らを「玉津島を祀る」相手側を「住吉明神を祀る」としているのだそうだ。
明神の反対側には「従是北白河領」という道標も立てられ、明確に国境であることがわかる。
追分の明神 | 「従是北白河領」の道標 |
境明神から下っていくと、白河の関跡がある。「関」とはいっても江戸時代にあったような関所ではなく、大化の改新以降ころに蝦夷の南下を防ぐために建てられた砦のようなものだそうだ。その後、朝廷が東北を次々に平定していくと白河の関は存在意義を失い、廃れてしまったという。それでも古今より歌枕に読まれることも多く、松尾芭蕉も「奥の細道」の旅に際し、わざわざ訪問したほどである。
白河の関跡 | 案内看板 |
関跡には天太玉命、住吉明神・中筒男命、玉津島明神・衣通姫命を祀ったという神社が建っている。この顔ぶれも境明神と一緒で大和朝廷の安寧のために祀ってあると言って良いだろう。そのほかには隣接する白河関の森公園に古代の竪穴式住居の復元家屋などがあるだけで、関としての復元物はない。発掘調査によっても竪穴式住居跡などが見つかった程度で関としての重要な出土物はなかったそうだ。ここを関跡として特定したのは白河藩主・松平定信で、場所をあれこれ研究し、現在地だと断定して、この地に「古関蹟(こかんせき)の碑」を建てたそうだ。
白河関跡の発掘調査解説板 | 古関蹟の碑 |