合戦坂(こうせんざか) 366m (2007.10.16) 地図

福島県白河市合戦坂−八竜神(はちりゅうじん)
福島県白河市合戦坂と八竜神の間にある小さな峠である。

その字面から何らかの戦さと関係してると考えるのは当然である。地元のサイトによると。
『 天正7年5月17日、常陸の佐竹義重の軍勢が、関山方面より白河へと侵攻してきた。白河結城義親の軍勢千余騎は、五日市場・館合から、古道の坂(市営火葬場がある坂)を通り迎撃した。
 白河勢が後退したとき、白河軍の背後から、14・5才の少年2人が忽然と現れた。妖しき面貌の二人が敵軍中に躍り込むと、佐竹勢は無数の軍勢と幻覚してパニックに陥り、総崩れとなった。二人の少年が仕止めた首は、280余であったという。
 戦いの後、義親が件の少年に「汝らは如何なる者ぞ」と問うと、「我らは不動明王の使途、矜迦羅童子(こんがらどうじ)と制咤迦童子(せいたかどうじ)なり。行末も汝らを守らん」と答えて、姿を掻き消したという。
 これ以後、館合の坂道は「合戦坂(こうせんざか)」と呼ばれ、路傍に「味方不動」が祀られた。そこに湧く「味方不動清水」は、今も絶えずに残っている。
 「教育のひろば」(白河市教育委員会広報) 』
どこまでが事実かは不明で、単に合戦があった古戦場という程度に留めておこう(ー_ー)
合戦坂の地名が付いた看板



峠とか坂といってもここは、標高差でも20m程度の規模なので、傾斜はゆるい。頂上には東北電力南湖変電所、麓には白河市営斎場があるような市街地の端にすぎない。合戦坂の名前もタクシー会社の看板に見つけたくらいで他には見つけられなかった。

峠には・・・ 東北電力南湖変電所がある
合戦坂方面



八竜神側の麓には道標が立っていた。石川街道と棚倉街道の追分だそうで、この道標の後ろに芭蕉句碑や宗祇戻しの碑もあった。

宗祇戻しの由来
室町後期の連歌師・宗祇が白河の連歌興行に参加するため、都から駆け付けたとき、ここで綿を背負ったかわいい娘に出会った。軽い気持ちで「この綿は売るか?」と声をかけると、
阿武隈の 川瀬にすめる鮎にこそ うるかといへる わたは有りけれ
と、軽くいなされたそうだ。宗祇は地方の小娘の歌に自信を喪失して歌会にも出ず、ここから引きあげたことから付けられたという。

※「このわた」は、海鼠(なまこ)の腸。「うるか」は鮎の腸。綿(わた)と腸(はらわた)がかけてある
石川街道と棚倉街道の追分

まあ、出来過ぎた話はおいといて・・・
私はこの道が水戸と白河を結ぶ棚倉街道だったということに注目する。この道は白河の関からまっすぐ来た道に当たる。すなわち東山道にほかならないと思えるからである。だから宗祇も通った道なのだろう。合戦坂というマイナーな峠がいにしえの官道だったなんて歴史ロマンだねえ(^^;)


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