峠よもやま話

 3.坂          更新 2015.6.6   

八乙女峠(富山県) 「坂」は峠の元の呼び名である。「古事記」や「日本書紀」では碓日の坂、足柄の坂、御坂、神坂(いずれもミサカ)など峠は「坂」という言葉で出てくる。

あ、忘れてた。古事記で最も古いものはヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)だよね。亡くなったイザナミ恋しと黄泉の国に会いに行ったイザナギが魑魅魍魎から逃げて、あの世とこの世との境になった所だ。

 佐世過ぎて寧楽のたむけに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとぞ

万葉集に使われた「峠」に関わる作品には「タウゲ」とは詠み込まれておらず、全て「タムケ」ばかりだという。しかしそれは峠という地形を指した使い方ではなく、峠道を通行する人々の行為や儀式としての「手向け」を詠んだものばかりらしい。

 足柄の み坂たまはり 顧みず われは越え行く 荒男も

このように「坂」は現在の坂(登るだけあるいは下るだけの傾斜した道)ではなく、必ず「越える」存在だった。
八乙女峠(富山県)
信州、甲州、武州境の三国峠 「サカ」とはサ(裂く)(場所)の意味である。峠(あるいは山)によって東西2つの集落(ムラ)に引き裂いていたのが坂だからここは(サカイ、境界)であった。

古道・旧道を辿っていると、集落(ムラ)のはずれに道祖神などを見る。ここはこの世とあの世との境であり、祖先を迎える場所であった。そこでは祖霊として迎えられない供養されてない霊も浮遊して付いてくると考えられ、こうした祟り神としての浮遊霊がムラに入ってこないように、この道祖神場で供養浄化して天界へお帰り願ったという。ここは賽の神とも呼ばれ、仏教伝来後は習合して地蔵菩薩が置かれたりしている。

境界は社会の発達によって大規模になっていく。かつての自給自足の生活から隣の村との交流(交易、物々交換など)によって村の境界が広がっていく。その広がりの果てが登りやすい山の尾根の鞍部であって、登っていく「坂」の果てが山の撓んだ「峠」であった。そのため境界である峠で「手向け」をするのは当然のことである。

となると、色々な坂地名も「ザカ」より「サカ」と読む方が正しいように思う。
三国峠(長野・埼玉)
※ほとんどが『「峠路を行く」蜂矢敬啓編著』の受け売りであります。
 

ホームページ | よもやま話へ戻る前へ次へ