御鮨街道  (四ッ家追分・清洲)   (2006.10.15)  更新 2006.11.12 地図
四ッ家の追分(美濃路との分岐)
御鮨街道は稲沢市六角堂東町にある四ッ家の追分で西から来た美濃路と合流する。
追分には石碑が立てられていて下記のように彫ってある。
「下津、一宮、黒田を経て岐阜へ向かう鎌倉街道。
後の岐阜街道と稲葉・萩原・起を過ぎて垂井へ向かう美濃街道との分岐点である」

ここには茶屋が数軒あり、うどんが名物であったという。
四ッ家の追分
四ッ家追分の石碑



長光寺
四ッ家追分で美濃路に入った御鮨街道はすぐに直角に曲がる。曲がってすぐ長光寺の前に来る。長光寺の門前にはかつて四ッ家追分にあった「左京都道 右ぎふ」と彫られた道しるべが移されてきている。
すぐ直角に曲がる 長光寺
四ッ家追分にあった道しるべが移されている



北市場美濃路公園
長光寺からさらに南下すると、北市場美濃路公園に出会う。公園の入り口には案内看板が立ち、トイレなどの休憩設備がある。ふつうの公園には違いないのだが街道を辿る者には良い施設と思われる。公園の前には分岐があって公園に沿った方の道が街道である。
北市場美濃路公園 公園に沿った道を進む
案内看板


清洲
そのまま進み、途中から県道127号線になる。東名阪自動車道をくぐり、さらにJR東海道本線のガードをくぐる。このガードをくぐらずにJR沿いに進むと清洲古城趾、五条川、復元した清洲城へと行ける。
東名阪をくぐる JR東海道本線のガードをくぐる
清洲古城趾 五条川の向こうに清洲城


清洲宿本陣跡
JR東海道線のガードをくぐると、清洲宿の本陣跡がある。どこも本陣ともなると門構えから違う。特にここ清洲は美濃路のなかでも最も豪壮な建物であったという。関ヶ原の戦い以前、尾張の中心は清洲であったわけだから当然といえば当然なのだが・・・
清洲宿本陣跡 案内板より


五条川を渡る
本陣を過ぎると、道は三差路に突き当たる。清涼寺と「札の辻」である。ここは美濃路清洲宿の中心地で鍵形の曲がり角には高札が立ち、「札の辻」と呼ばれた。津島への分岐を示す指差し道標も最近まで残っていたという。さらに五条川を渡って(五条橋)右折し、堤防下へ下りる。
清涼寺と「札の辻」を左折 五条川を渡って右折(五条橋)
堤防下へ 豪壮な邸宅(長者橋東)


鍵形に曲がる旧道
堤防下へ下りた美濃路は名鉄名古屋本線のガードの手前で2車線道と合流する。名鉄のガードをくぐり、サークルKサンクスの手前から旧道に入る。角に格子戸の旧家がある。(株)山市という酒屋である。清洲丸の内郵便局前を過ぎ、三輪医院から鍵形に曲がる。
2車線道と合流と合流し、ガードをくぐる 鍵形に曲がる旧道(左側に山市)



新川を渡る
旧道をそのまま辿る。少し前の町というような風景が続く。名鉄津島線の踏切を渡ると、間もなく須ヶ口駅前である。須佐之男神社前を通り、新川を渡る。
名鉄津島線を渡る 須佐之男社
新川を渡る 新川橋西詰の公園と三菱東京UFJ銀行尾張新川支店



新川は看板にあるように、庄内川の放水路として開削されたものである。しかし、もともと低湿地であったため、たびたび洪水が起こった。記憶に新しいところでは2000年9月11・12日の集中豪雨により堤防が決壊し、この辺り一帯は水浸しになった。そんなことからここ新川橋西詰は防災記念公園として整備されている。

また新川橋西詰からは津島街道が分岐しており、欄干形の道標も置かれ、美濃路の公園としても整備されている。
欄干形の道標 新川開削本陣跡の案内板
案内板より


ホームページ旧街道 | 御鮨街道6へ