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(笠松湊・木曽川・一宮) |
(2006.10.15) |
更新 2006.10.29 |
地図 |
木曽川を渡る
笠松まで運ばれた鮎鮨はいよいよ、木曽川を渡る。昔は舟で渡った木曽川をいまは旧国道の橋で渡る。自転車・歩行者専用橋があるので安心して渡れる。
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笠松渡船場跡付近の旧橋台 |
旧国道の橋(自転車・歩行者専用橋) |
宝江(ほうえ)の渡し
木曽川を渡ると愛知県一宮市木曽川町北方宝江で、尾張側の渡し場はここの地名から宝江の渡しといわれていた。
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宝江渡し跡 |
看板 |
津島起道(つしま・おこしみち)との分岐
渡船場からすぐのところに分岐点があり、いろいろな道標が建っている。ここではなんといっても文政12年に立てられた分岐の道標がメインである。
「左なごや・右つしま起道」
なごやはもちろん名古屋のことである。もう一方のつしま起道とは津島市と起のことだ。名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線に乗ると、いつも車内アナウンスの乗り換え案内に出てくる。
「おこし・おくちょう・もりかみ方面は乗り換えでございます。」
その起(旧尾西市の木曽川べり)のことである。起・津島へは右側の堤防道路のような道を行き、御鮨街道(岐阜街道・名古屋街道)は左側へ行く。
黒田駅・木曽川駅
堤防の高さから下り、曲がりながら進む。旧国道の県道14号線が下りながら近づき、岡本自動車の先で合流する。
県道を少し行き、木曽川幹部交番前、稲葉石材の看板がある所で県道と分岐する。御鮨街道は純粋な旧々国道みたいで2車線のままゆるいカーブを切りながら進路を東にとる。名鉄黒田駅の前に達し踏切を渡る。この先JR木曽川駅までが旧木曽川町の中心地である。JRの踏切も渡り東進する。中世、黒田には黒田城があり、山内一豊はこの城で生まれたという。
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県道と合流 |
県道と分岐して左へ行く |
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名鉄・黒田駅前で踏切を渡る |
名鉄・黒田駅前(山内一豊生誕地の看板) |
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旧木曽川町の中心地 |
JR・木曽川駅前 |
野府川(のぶがわ)を渡る
何度目かの信号を右折し、御鮨街道は南に向きを戻す。少し行くと野府川を渡る。
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信号を右折 |
野府川を渡る |
善龍寺
クランク状の枡形を過ぎ、少し行くと善龍寺がある。天台宗から真宗に改宗したお寺で明治天皇の御小休処(おこやすみどころ)になったらしい。反対側に善光寺如来がある。
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枡形(クランク状の道) |
善龍寺 |
東海北陸自動車道のガードを潜る
東海北陸自動車道のガードを潜り、東海道線に沿って走る。やがてしばらく離れていた県道と合流する。野宮神明社前を過ぎ酒見神社前からまた県道と分岐する。今度は一車線の狭めの道である。
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東海北陸自動車道のガードを潜る |
県道と合流 |
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酒見神社 |
分岐を左へ |
尾張一之宮・真清田神社(ますみだじんじゃ)
旧道に入ってすぐに日光川を渡る。名古屋市郊外?ではけっこうな川幅だけに、ここらでもそこそこの川幅はある。そして間もなく一宮市の中心にとさしかかった。
一宮市は尾張一之宮である真清田神社の門前町として発展した。よって御鮨街道も真清田神社の前を通る。
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