御鮨街道  (加納宿・笠松湊)   (2006.9.22)  更新 2006.9.30 地図
立花屋薬局前
東番所跡を過ぎると県道14号線を渡る。渡った先でまた曲がる。角に立花屋薬局と自然石の道標がある。「左 西京  右 岐阜 谷汲」と彫ってある。つまり南から見てここを左(西)へ行けば京都、右(北)へ行けば岐阜から谷汲というわけである。よって江戸へ行くには道標から右折(南)することになる。
立花屋薬局 自然石の道標



加納大橋
立花薬局の先に加納大橋がある。ここで荒田川を渡るのだ。併走する名鉄名古屋本線とJRも同じように橋を渡る。この橋の欄干には左右に4個づつプレートが取り付けられている。そのプレートは・・・中山道だけあって大名行列である。
加納大橋 名鉄名古屋本線・JRが並ぶ
加納大橋の手すりにかけられたプレート



ぶたれ坊
加納大橋を渡ると中山道はだんご屋さんの角で東へ転進する。中山道はそのまま名鉄名古屋本線の踏切を渡るが、御鮨街道(岐阜街道)は手前にある茶所薬局で分岐して南進する。

その角っこにぶたれ坊の鏡の石碑と道標がある。関取「鏡岩」にちなんで「鏡」と彫られた石碑が面白い。また道標もその鏡岩浜之介が作らせたもので「東海道伊勢路 江戸木曽路」と彫られている。
だんご屋から左折し東進する 御鮨街道は茶所薬局から南進する
茶所薬局隣にある鏡の石碑と道標(ぶたれ坊) 案内板


境川
中山道から分岐して南進する。大きな道(昔の国道21号線)を横切り、南下すると、境川が近づいてくる。お蔵のような建物は街道っぽいし、川沿いの木々が並木のように見える。川からはすぐ離れるが、御鮨街道は境川の堤防のような高さで真っ直ぐ進む。

行く先にコンクリートのガードが見えてくる。現在の国道21号線である。境川を渡るために高くなっているのでそのガード下を潜る。潜って国道に沿って戻ると御鮨街道のラインに小高い道がある。やはり堤防の役目をしているようだ。そのまま進むとすぐに県道14号線と合流する。
境川が近づく 国道21号線を潜る
潜ってから元のラインに戻る 県道14号線と合流する


境川を渡る
境川は木曽川が昔流れていた川筋にある。現在の木曽川のように尾張と美濃の国境となる川であったことから境川と呼ばれている。 1586年の大洪水で木曽川は大きく流路を変えて南方に移動した。かつての流路には、それまでの支流からの水が流れ込むだけとなり、現在の境川になった。墨俣の一夜城(1566年)を作る際、秀吉と川並衆は一夜城の用材を筏に組んで木曽川の上流から流したというが、その木曽川とは現在の境川筋であったのだ。

また1586年の大洪水は、小牧・長久手の戦い(1584年)の2年後のことだから、信長の美濃侵攻や小牧・長久手の戦いの頃までとそれ以後(関ヶ原の戦い)とでは防衛ラインも変わってしまった。何せそれまで尾張であった所が洪水によって美濃に変わってしまったのだから・・・


その境川を県道14号線で渡る。実際の御鮨街道はもう少し上流側で渡河していたそうだが、橋がないのでここを渡る。そして御鮨街道に戻るためにすぐ脇道へ入る。
境川を渡り 御鮨街道へ戻る


笠松問屋場跡
御鮨街道に戻り、そのまま進むと笠松の町中に入る。郵便局を横目に見ながら進むと、名鉄竹鼻線の踏切にぶつかる。名鉄笠松駅で別れて羽島方面に行く路線だ。

踏切を渡り、少し行くと笠松の問屋場跡に着く。道標と石碑と看板が立ち、後ろには倉庫のような建物が建っている。
名鉄竹鼻線の踏切 笠松問屋場跡
笠松問屋場跡


笠松メインストリート
問屋場跡から先に進むとT字路にぶつかる。そこを左折すると古い家並みがあって次の四つ辻(ブティックカトレアとだるま薬局の角を右折すると笠松のメインストリートに出る。お店や銀行などがあるが、ご多聞に漏れず、ここは旧市街地である。笠松の民俗資料館など昔は東海銀行の建物だったそうだ。その先にある古い商家も岐阜市の川原町を思わせる重厚な建物である。
T字路を左折 ブティックカトレアとだるま薬局の角を曲がる
メインストリート(右の建物は笠松民俗資料館) 古い商家


笠松メインストリート
メインストリートも終わり、いよいよ川湊に近づく。町はずれに御鮨街道と伊勢路との分岐があり、幕府はここに関所を置いたそうである。堤防に登ると、川灯台と道標があった。「右いせ路 左なごや路」と彫ってある。
御鮨街道と伊勢路との分岐 木戸跡の道標
道標と川灯台 川灯台と木曽川


笠松渡船場跡
ここが木曽川の渡河地点、笠松渡船場跡である。堤防から渡船場までは荷車などが土にめり込まないように石畳が敷いてある(石畳は明治初めに作ったらしい)。

川畔まで下りてみると、煉瓦造りの旧橋台があった。下流にかかる旧国道(現県道14号線)の前身の橋だったらしい。岐阜から運ばれた鮎鮨はここから木曽川を渡り、対岸の宝江の渡船場から一宮・名古屋へと運ばれていったのである。
木曽川笠松渡船場跡 石畳が敷いてある
渡船場付近の旧橋台

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