大塩峠  865m (2008.5.26) 地図 

福島県北塩原村(きたしおばらむら大塩−北塩原村檜原(ひばら
福島県北塩原村大塩と檜原の間にある旧米沢・会津街道の峠である。

檜原の集落から蘭峠を越え、小塩川沿いに下る。道が登りに転ずるところに一ノ渡古戦場跡があった。その先は2車線が1車線になる。
一ノ渡古戦場跡



一ノ渡古戦場とは福島県中通り北部と山形県米沢地方を支配していた伊達輝宗(伊達政宗の父)と会津の葦名との対峙のなかで起こったものである。
『一ノ渡合戦(北塩原村、裏磐梯の歴史と文化、伊達輝宗・正宗親子と檜原穴沢一族の戦いより)
永禄9年(1566)1月『檜原戦物語』に、伊達勢は負け続きであったことから、不意の攻撃を考え、通常合戦をしない雪深い時期に攻めてきます。村人が集まる二十三夜信仰の日を狙い、翌日の未明、約千人で桧原の町はずれの家に火をつけ襲ってきます。一族は、一時岩山城へ逃げます。穴沢俊恒、俊光らが大活躍し、敵の側面を襲い、伊達勢は一ノ渡で約300人が極寒の川に落ち、合計約530人を討取ったとしています。(このときの一ノ渡の場所は金山付近) 』

現場を見ると対岸に旧道があるが、この狭い谷で530人を討ち取るようなような合戦ができたのか不思議な感じである。

一ノ渡古戦場跡と小塩川



1車線になった峠道が急になったところに鹿垣がある。一種の砦のようなもので伊達軍との戦いに使われたとのことである。この鹿垣の中を旧街道が通っている。

道が急になったところに鹿垣がある



そして峠に到着。現道には標識も何もない。しかしカーブの内側に旧米沢・会津街道の入り口があって。登ったところに峠の案内看板があった。そこが旧街道の峠で、現道は掘り下げて切り通しにしたのであろう。

大塩峠
旧街道の峠



萱峠などと書いてあるし地図の表記からもはじめは違う峠かと思ったが、よく読むと大塩峠と同じ峠だとわかった。
大塩峠の解説板



その先はいまも通行できるように草刈りされているようだが、現道ならともかく、ここに茶屋があったとはにわかに信じがたい。

大塩峠


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