南蛮峠(なんばんとうげ 451m (2014.9.13) 地図 2.5万図

新潟県長岡市竹之高地町(たけのこうち)-柿町

新潟県長岡市竹之高地町と柿町の間にある峠。

ツーリングマップルで見つけたために行った。まずは新潟なのに「南蛮」というネーミングにビックリした。そしてその謎は現地に行ってみてわかった・・・

まずは信濃川水系太田川の谷を遡った。蓬平町で高龍神社(こうりゅうじんじゃ)の鳥居をくぐると登りが始まった。

高龍神社の鳥居をくぐる


鳥居の横に中部北陸自然歩道と蓬平温泉の看板があった。高龍神社の御神体は龍だという。龍は天変地異を引き起こすから商売繁盛の神様になるのは不思議だ。長岡市のウェブサイトによると龍神の使いである白蛇が商売繁盛につながっているという。干支でも蛇年はお金に困らないとか言われる。私も蛇年だが、そう言われてもねえ・・・ほんまかいな?

中部北陸自然歩道の看板 蓬平温泉と高龍神社の看板
蓬平温泉 高龍神社


高龍神社を過ぎると勾配はきつくなる。奥の院にあたる竹之高地不動社の看板がある。ここから1kmのところに不動社がある。

不動社というからにはお不動さん。不動明王である。不動明王は憤怒の形相をした怖いお姿で背中に火炎を背負っている。ところがお不動さんはここのように滝が付き物。火と水という考えられない組み合わせである。怖いお姿が滝と結びついたのかもしれない。また不動明王は大日如来が衆生を教化する際、通常の姿のままでは教化できないので忿怒相をもって現れたもの。つまり密教(仏教)の仏さまのひとつであるにもかかわらず、神社の御神体になってしまうのだから、これもおかしなものである。

そんな世迷い言を並べている間に不動滝に着いた。

竹之高地不動社の看板 急勾配の道
不動滝に着いた



不動滝の上には竹之高地不動社があった。手洗い場にはお不動さんが鎮座していた。コンクリート造りのお社があった。中越地震で大変な被害をうけて建て直したので頑丈な造りにしたのだろう。

竹之高地不動社 手洗い場のお不動さん



竹之高地不動社を過ぎて、さらに峠へと登る。はじめのうちこそきれいな舗装だったのが、だんだんコンクリートが剥げたような舗装になった。太田川の砂防堰堤を過ぎるとスイッチバック地点を2ヶ所こなしながら登っていく。

まだ舗装 やばい舗装
太田川の砂防堰堤 スイッチバック地点
スイッチバック地点 峠近く



そして、パッと見、峠に見える三叉路に出た。しかし2.5万図と照らし合わせると、ここは峠ではない。車道のサミットのひとつである。そこで南蛮山とは反対方向に行ってみる。

峠のように見えるが
長岡の街 道標
南蛮山方面 峠方向


489mピークの裏側斜面を行く道である。まもなく峠と思われる広場に出た。反対側に降りる峠道は認められるが、竹之高地不動社側の峠道は判然としない。スマホの地図アプリはここが南蛮峠であることを示している。

峠へ向かう スマホ地図アプリ
地図上の峠



最後に竹之高地不動社の由来に気になることが書いてあったので取り上げてみる。「難波峠(南蛮峠)」の記述。「なんばん」に始め?は「難波」の字が当てられていたこと。そして「多岐之河内(竹之高地)と呼ばれる谷」では滝がある谷すなわち河内(上高地と同じ使い方)でもって地形を表現したわけである。

また弘仁年間とは「西暦810年〜824年」。その700年後は「西暦1510年〜1524年」で竹之高地集落を作ったという原美濃守が甲斐武田氏に仕えていた鬼美濃こと原 虎胤(はら とらたね)である確証はないが、年代的には合う。



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