美濃路 (稲沢・稲葉・萩原・起)   (2006.12.10)  更新 2007.1.27  地図1


四ッ家追分(岐阜街道との分岐)
四ッ家追分で美濃路と岐阜街道が分岐する。美濃路は西へ、岐阜街道は北へ行くのである。追分には石碑が立てられていて下記のように彫ってある。
「下津、一宮、黒田を経て岐阜へ向かう鎌倉街道。
後の岐阜街道と稲葉・萩原・起を過ぎて垂井へ向かう美濃街道との分岐点である」

ここには茶屋が数軒あり、うどんが名物であったという。
↑(西方・美濃路へ) 四ッ家の追分 (北方・岐阜街道へ)↑
四ッ家追分の石碑
七曲縄手
JR東海道本線の踏切を渡り、街道をまっすぐ西へ進む。1kmほど行ったグランドパレスの西の信号を右折し、すぐ左へカーブする。この付近は道が曲がりくねっているため「七曲縄手」といわれた。右にスーパーマーケットを見ながら進み、左へカーブする手前でまた右に折れ、さらに左折し、稲沢団地で右折という複雑さである。
グランドパレスの西の信号を右折する 左へカーブする手前でまた右に折れる



国府宮一ノ鳥居
稲沢団地の横を北上し、信号交差点を左折すると、国府宮一ノ鳥居前を通り、名鉄・名古屋本線の踏切を渡る。高御堂団地から斜め右へ曲り、大江川を渡る。
国府宮一ノ鳥居 高御堂団地から斜め右へ曲がる



稲葉宿
大江川を渡り、県道82号線を越えると、稲葉宿に入る。T字路付近が本陣跡である。本陣跡を左折し、中心地に入っていく。格子をはめた家がけっこう残っている。道が右へカーブする右側に「稲葉宿問屋場址」の碑がある。小沢・東町・西町とあった問屋場のここは東町にあたる。問屋場の向かい側に珍しい円柱の道標があった。「右つしま道三里」と刻まれている。ここから津島への道があったようだ。
県道82号線を越え 稲葉宿問屋場跡
稲葉宿問屋場跡の碑 円柱の道標
円柱の道標


萩原宿まで
稲葉宿を後にし、稲葉口の交差点で右に折れ、会計事務所の前で左に折れる。道なりにカーブしていくと西尾張中央道にでる。ここから道がなくなっているので、稲沢中島水道企業団(うちの職場ではなんとなく有名だ(^^ゞ )のまわりを迂回して行く。

中嶋宮の前を通り、高木の一里塚跡を通る。塚は残っていない。高木神社の前から何度か折れ曲がってから国道155号線を渡る。そのまま名鉄尾西線の踏切を越えると萩原宿である。
西尾張中央道 中嶋宮の前を通る
高木の一里塚跡 名鉄尾西線の踏切(西側より撮影)



萩原宿
萩原宿は美濃路のなかでも最小の宿場であったという。しかし今では繁華な商店街になっている。正瑞寺前を曲がると連子格子の民家などが出てきて、宿場の中心・本陣跡に着く。本陣跡を過ぎると、イワタ電機前を曲がり、日光川に架かる萩原橋を渡り、萩原宿を後にする。
萩原宿、正瑞寺前を曲がる 萩原宿本陣跡
イワタ電機前を曲がり 日光川を渡る(西側より撮影)



冨田の一里塚
日光川を渡ってすぐを右折。名神高速のガード下をくぐり、500mほどで北西に向きを変える。道なりに進んでいくと冨田の一里塚に出会う。こここそ美濃路で唯一両塚が現存する一里塚である。塚の上には榎も植えられている。

 一里塚を過ぎ、少し行くと道標がある。「左駒塚道 船渡 五丁」と刻まれている。駒塚道はここから左に折れて、駒塚の渡しで木曽川を渡り、羽島市の駒塚へ至るそうだ。
名神高速 冨田一里塚(西側)
冨田一里塚(東側) 名鉄尾西線の踏切(西側より撮影)


起宿(おこしじゅく)
駒塚の道標を過ぎ、しばらく水路沿いを進むと、やがて左側からの道路と合流して起宿に入る。起宿は木曽川の渡し場をひかえた宿場である。起宿に入ってすぐに一宮市尾西歴史民族資料館がある。そしてその別館が「旧美濃路 脇本陣跡」である。別館と庭園はなかなか素晴らしい。

また隣の資料館も展示物が充実している。起宿は木曽川の渡し場に面した宿場で3ヶ所の渡船場があった。そんな渡船場の歴史のなかでも、安南国(ベトナム)から将軍吉宗に献上するための象が江戸へ下る途中、木曽三川を渡った様子(※)が紹介されていて面白かった。

※揖斐川では従者が船に乗せようとモタモタしていると象はさっさと渡りだした。ところが川の深みでその姿が見えなくなり、従者達は大騒ぎ。そんな従者を後目に象は長い鼻を水面に出して悠々と渡ったそうだ(^^;) 長良川では川幅が広いため船に乗せることになったが、船に乗せるのに一苦労。そして対岸着く頃、見物客の騒ぎに驚いた象が暴れ、また水没したとか・・・木曽川はそれまでの川以上に広い川面だったが、これまでの学習効果で大過なく船で渡れたそうだ。

この資料館と別館の脇本陣がなんと無料であった。一宮市(旧尾西市)は太っ腹だ。おまけに旧尾西市が作った「歩いて、感じて・・・美濃路 散策ルートマップ」という案内地図が300円なので購入した。
旧美濃路 脇本陣跡
脇本陣跡 一宮市尾西歴史民族資料館


資料館&脇本陣を後にし、起宿を進む。やがて本陣および問屋場跡に来る。いまは何もない。次に3ヶ所あった渡船場のひとつ船橋河戸跡に至る。船橋は船を何十艘と集めてそのうえに橋をかけたもので、徳川家や朝鮮通信使が通る際に近郷の集落に命じて掛けさせたという。その準備から撤去まで4ヶ月を要する一大プロジェクトであったという。
起宿東海北陸自動車道のガードを潜る 県道と合流
船橋河戸跡と石碑



起渡船場跡
大明神社の前に宮河戸跡の石碑があった。ここは宮河戸といわれ、神社の御手洗や水筋変更・通行混雑時の渡船に用いられたという。

濃尾大橋のガード下をくぐり、少し行くと、川端に金比羅神社があった。大きな常夜灯と起渡船場跡の碑などがある。木曽川を渡った羽島市側の堤防下にも小さな金比羅宮があるが、「こんぴらさん」は航海の安全を守る神さまだという。ここから美濃路は対岸の羽島市に渡った。いまは渡船などないので濃尾大橋で渡ることとなる・・・
宮河戸跡の石碑 宮河戸跡から見る伊吹山
金比羅神社と起渡船場跡
木曽川



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