美濃路 (羽島・墨俣・大垣・垂井)   (2006.12.10〜17)  更新 2007.1.27  地図2


木曽川を渡る
美濃路は起宿(一宮市尾西)から対岸の羽島へと木曽川を渡る。ここから美濃路は対岸の羽島市に渡った。いまは渡船などないので濃尾大橋で渡ることとなる・・・
金比羅神社と起渡船場跡 木曽川

 

起渡船場石灯台(羽島側)
尾西大橋で木曽川を渡る。風が強く川幅も広いので、歩行者・自転車専用橋ではけっこう怖い。羽島側に渡り、右(上流側)へ行くと堤防上に渡船場の石灯台がある。渡し船は常時2艘のほか旅人が多いときに備えて置き船1艘が常備されていた。

石灯台から少し上流へ行って斜めに堤防を下りる。下りたところに金比羅宮がある。「こんぴらさん」は航海の安全を守る神さまで、起側の渡船場跡にも立派な金比羅神社がある。金比羅宮の先で岩田橋を渡り、民家の角で北へ折れる。この民家の門前に『右いせみち 左おこし舟渡』と刻まれた道標がある。
起渡船場石灯台 (灯台から起側を望む)↑
金比羅宮 民家の角で北へ折れる
右いせみち 左おこし舟渡



不破一色の一里塚
コンビニのある交差点を斜めに渡り、正木小学校前まで来る。ここにむかし一里塚があったという。今は何もないため、一里塚跡の碑と看板、美濃路の看板などが立ててあった。

須賀駅付近で名鉄竹鼻線を渡ってさらに進む。この付近は起宿と墨俣宿のほぼ中間であり、間の宿として小休所が設けられていた。このあたりに西方寺への道標が建てられている。「親鸞聖人御旧跡」「寺田山渋谷院西方寺」「従是北六丁」と刻まれている。
不破一色の一里塚跡
名鉄竹鼻線を渡る 西方寺への道標



境川の堤防
曲がりくねった道を行くと県道1号岐阜羽島線にぶつかる。ここから旧道は残っていないため暫定的に近い道筋をたどり、坂井の集落へ向かう。ここから美濃路は復活し、境川の堤防に上がる。上がったところに親鸞聖人御旧跡碑が建てられている。ちょうどこの地点が美濃路と鎌倉街道の合流点である。脇には2体のお地蔵さんがいる。

まもなく右手に美濃路の石柱と案内板がある。また西小熊の一里塚がある。跡地にはイチョウの木と平成11年に建てられた一里塚碑がある。
県道1号岐阜羽島線を渡る 境川の堤防に上がる
美濃路の石柱と案内板 西小熊の一里塚跡


長良川を渡る
境川堤防を進むと美濃路で2つ目の渡し「小熊の渡し」にさしかかる。境川(小熊川)を渡るのである。今では境川橋と大江川橋によって簡単に渡れるが、当時は36mから360mと流量の激しい川であったらしい。長良川の堤防下の道を北上し、長良大橋から200mほど北上したところが墨俣の渡し跡である。川へ隔てて墨俣一夜城が見える。

長良川を長良大橋で渡る。堤防脇に墨俣一夜城址がある。墨俣一夜城はもともと砦みたいなものであったようだが、ふるさと創生資金1億円を使って大垣城を模した天守と金のしゃちほこが創られた。
小熊の渡し付近 墨俣の渡し跡
長良大橋 墨俣一夜城
墨俣一夜城



墨俣宿
犀川に架かる犀川橋を渡って墨俣宿に入る。橋を渡った右手には美濃路の石碑、左手には墨俣本陣跡の碑がある。さらに西へ100mほど行くと黒塀に囲まれた脇本陣がある。安藤家である。さりとてそれ以外はさほど古い建物は残ってはいない。電気屋で北に折れ、八幡神社を過ぎると犀川の堤防に上がる。堤防へ上がる途中に「史跡 美濃路」の石柱が建てられている。
犀川橋 美濃路の石碑
墨俣宿本陣跡 脇本陣・安藤家
八幡神社 犀川の堤防に上がる



東結の一里塚
犀川の堤防へ上がる。上がってすぐの所から河川改修の浚渫土砂を積んでできたという新興地ができていて、堤防だか台地だかわからなくなっていた。その新興地が終わる辺りの堤防下に「東結の一里塚」の碑と地蔵があった。道から外れているので意識してないと見逃してしまう(ー_ー)

そのまま堤防を走る。県道171号線を渡る角っこに「歴史の道 鎌倉街道 美濃路 縁結びの結神社 0.6km 照手姫ゆかりの町屋観音堂 0.5km」と書かれた大きな道案内板が建てられている。「倉稲魂神 米の宮之趾」の石柱や「白山神社」を過ぎ、まちあい公園の向こうに町屋観音堂がある。照手姫(てるてひめ)といえば、歌舞伎・浄瑠璃にもなった小栗判官(おぐりはんがん)物語である。熊野古道とも大いに関係があるので嬉しい。
新興地の左へ行く 東結の一里塚
歴史の道の案内板 町屋観音堂


揖斐川を渡る
町屋観音堂を過ぎると道が二手に分かれる。美濃路はまっすぐに行って揖斐川を渡る。佐渡(さわたり)の渡しである。通常は渡し船が2艘、予備として鵜飼船が2艘あったという。現在はその上流にある新揖斐川橋を渡ることになる。
堤防上から西結の集落を見る 佐渡(さわたり)の渡し跡
新揖斐川橋 揖斐川


橋を渡って堤防上を下流へ辿ると佐渡常夜灯があった。ほとんど幕末に造られたものである。堤防から下りて西へ走る。折れ曲がりながら進むと立派な門構えの造り酒屋があった。さらに教如上人の石碑があったり、なかなか面白い。

大垣市ソフトピアの建物のそばまで来ると、鎌倉街道小野の長橋跡の石碑もある。このあたりは今宿というが、鎌倉街道の宿駅が置かれたことから名付けられたという。JR東海道本線が見える高橋接骨院前を直角に曲がり、また東中学校・東小学校付近へと左右に曲がりながら進む。新規川の手前に「三塚の一里塚」碑が建てられている。
佐渡常夜灯 造り酒屋
教如上人の石碑 ソフトピア
鎌倉街道小野の長橋跡 三塚の一里塚碑



大垣宿
そのまま進むと伝馬通となり、赤坂橋のところで左(南)に折れる。ここが大垣城下への入り口、名古屋口で東惣門が建てられていた。「美濃路名古屋口御門跡」の碑がある。右に左にと折れ曲がる。大垣宿は城下町であるから街道も複雑に折れ曲がっていた。その本町商店街通の曲がり角に高札場があった。また郵便ポスト横に「美濃路大垣宿脇本陣跡」の碑が建てられている。

さらにその先、右に折れる曲がる角には「左江戸道 右京道」と刻まれた本町道標が建てられている。ここから竹鼻街道が分岐していたという。
美濃路名古屋口御門跡の石碑 高札場跡
脇本陣跡
本町道標



本町道標を右折し、さらに左折して進むと大垣宿問屋場跡がある。街道グッズが飾られた建物はそれらしき匂いが漂っていた(^^;)

大垣宿問屋場跡を右折し西へ行くと「明治天皇行在所跡」の碑があり、ここが本陣跡である。本陣跡を過ぎると広い通りに出る。この通りへ左折し、すぐに右に入ると創業1755年、昔の面影を残す柿羊羹の「つちや」の本店があった。街道沿いに老舗が残っているのは嬉しいものだ。
大垣宿問屋場跡の石碑 大垣宿本陣跡
「つちや」の本店


奥の細道むすびの地
そのまま進み、左に折れて水門川を渡るところに大垣城西総門・京口御門跡の石碑がある。さらに水門川沿いに「左 江戸道 右 京みち」と刻まれた道標が建てられている。船町の道標である。

ここ船町はかつて港があり、俳人松尾芭蕉が「奥の細道」むすびの地と記した場所である。あたりは水門川をはさんで住吉公園として整備され、大垣市のシンボル「住吉燈台」や「奥の細道むすびの地記念館」「奥の細道むすびの地碑」など見どころ満載である。
大垣城西総門・京口御門跡の石碑 船町の道標
水門川と住吉燈台 奥の細道むすびの地碑



塩田の常夜灯
住吉公園から西へ進む。昔の揖斐川だといわれる杭瀬川(くいぜがわ)を渡る。旧塩田橋のたもとに静里町塩田の常夜燈がある。中山道赤坂宿にある赤坂港と桑名港との舟運のために必要だったといわれている。常夜燈のところで右に折れて、左・右にカーブすると県道に出る。

県道31号線を横断して100mほどで左に折れて進むと久徳(きゅうとく)一里塚である。冨田一里塚に次ぐ現存一里塚だ。冨田は両塚現存しているが、ここは左(南)塚だけが現存している。塚の上には定番の榎が残っている。さらに西へ進み、太平洋工業付近で美濃路は消滅している。県道沿いを進み、大垣自動車学校前で旧道に入る。さらに大谷川を渡って北へ進む。
杭瀬川(くいぜがわ)を渡る 静里町塩田の常夜灯
久徳一里塚 大谷川を渡る



垂井の追分
国道21号線にぶつかって美濃路はまた消滅する。国道の北側を通っていたらしい。そのまま国道を進み、綾戸口の交差点から右斜めの道へ入る。六社神社前を通り、JR東海道本線の踏切を渡ると「これより美濃路松並木」の標識があり、街道で唯一の松並木が現れる。約1kmほどのところに数十本の松が残っている。

松並木がなくなると垂井の中山道との追分である。道標と標柱が建てられている。標柱には「←中山道 美濃路→」、道標は「右東海道大垣みち 左木曽街道たにくみみち」と刻まれている。ここで美濃路の旅も終わりである。
綾戸の松並木
垂井・中山道との追分
垂井宿の入り口



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