角間台峠(かくまだいとうげ) 297m (2011.6.10) 地図  2.5万図

山形県鶴岡市小名部(おなべ)−鶴岡市小国(おぐに)
. 山形県鶴岡市小国と小名部との間にある旧出羽街道の峠である。

基本的には堀切峠の次の峠だから小名部から登るのが順序だけれど、宿泊地などとの関係で越路峠を方面の小国側からアクセスした。

ということで、県道348号線を山の方へと辿り、小国集落へと入った。
小国集落付近



上の体育館のような所から集落へと入っていくが、わかりにくかったので、反対側からも見てみた。もちろん小名部方面の看板が両側にあるからわかりやすいとも言えるのだが。で、その分岐には「古城・小国の里」なる看板があった。

分岐 分岐を反対側から
分岐 古城・小国の里



そのまま集落内に入り、外れ辺りに廃校跡があった。どうも野外宿泊施設として利用されているみたいだった。

小国の集落内 廃校跡は野外宿泊施設?



その施設前にある看板には小国城の概略という看板が立てられていた。そうか、これが「古城の里」なる由縁か!して、小国城とは・・・ネットによると
『出羽国の日本海沿いは断崖が海と接し、人馬の通行が危険であったために、山間の道が主要道となり、各地と結ぶ小国の地がその要所となり、そこに作られたのが小国城である。創建時期は明確でなく、南北朝時代に越後の北朝方が出羽に攻めた際小国城に支城があったとされる。この城が整備・強化されたのは天文6年(1537)から天正6年(1578)までの41年間在城した小国因幡守によるものといわれている。この城は庄内地方の勢力関係の変化に伴い、武藤氏から上杉氏、最上氏へと支配関係が変化した。天正16年(1588)十五里原の戦いの前、武藤義勝がここに逃れ、庄内奪回を策した。小国城は、元和元年(1615)の江戸幕府の一国一城令により廃城となった。現在は、空堀・土塁が残っている。』
とのことである。

「小国城の概略」の看板
小国城全容



そして本格的な峠道に入った。割とゆるい登りをこなしていくと、谷奥のどん突きからヘアピン状に登り返していく地点があった。

本格的な峠道に
谷のどん突きから ヘアピン状に登り返す



その後、間もなく峠である。不法投棄禁止の上に「角間台峠」の看板があった。公式のものではないけれど、嬉しい(^^;) それ以外には何もなかったからね。

「角間台峠」の看板
角間台峠



峠から下る。標高は高くないけれど山深い感じがする。カーブが多いからだろうか?

峠から下る
大きなヘアピンカーブ



そんな感じでカーブをこなしていく。そして麓まで下りてくると堀切峠のときに見た分岐点に出た。

カーブをこなす
麓に着いた 小名部の分岐



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