ホハレ峠 3 (1998.12.23、2007.4.7、2007.8.5) 地図

岐阜県揖斐川町坂内川上−揖斐川町(旧徳山村)門入(かどにゅう)
2007.8.5

2度目の撤退の後、8月初めには林道工事も終わったはず。と3度目の正直で、再リベンジに行った。盛夏のことだし、3度目のトライなので中腹まで車でアプローチし、先回の工事現場の真下あたりに車をデポして探索を再開した。

路傍に草が繁茂し、完全な夏バージョンである。 工事区間だった所に入ると、ダートになった。
尾根を曲がる所もテレテレにしてある(^^;)



カーブを曲がると、尾根上の道である。 新峠へ行く道との分岐点が掘り下げてある。そこを左へ登ると、



峠に着いた。 道はまだ登っていくようだが、ここが峠だという証拠は・・・
ホハレ峠のお地蔵さん
大岩のかげに峠のお地蔵さんがあるのだ。
顔など摩滅してしまい、あらかじめ見聞きしてなければ、これがお地蔵さんとは到底思えないだろう(ー_ー)



何はともあれ、3度目の正直でやっと峠に立つことができた。しかしその先はスズメバチやらクマバチがブンブンいっていたから早々に退散した。その後、この峠道が廃道になる原因となった徳山ダムに行ってみた。

徳山ダム ダム下には昔通った放水路用のトンネルが見えた。
放水路用のトンネルと昔の道路 そして旧徳山集落(本郷)は湖底に沈んでしまった。

しばらく来ないうちにすっかり様変わりしてしまった。就職したての1978年秋に訪れたときには折しも運動会が行われていて本郷にある中学校の運動場は大賑わいだった。運動会などとは知らずに出かけた私は村人の熱気にとまどいながらも山村の雰囲気を楽しんだものだった。その後1997年6月に写真撮影に訪れたり、1999年9月にはランドナーオフを徳山で開催し、全国から自転車乗りに集まって貰ったこともあった。でもダムができた今では昔の徳山の面影はもうどこにも残っていなかった。

         少し前の旧徳山村、門入・戸入集落および本郷(開田)の地図



国道にもいくつも橋やトンネルがある(徳山会館へ左折)。 国道のつり橋
国道から脇道を辿ると徳山会館があった。ここは資料館兼宿泊施設である。



徳山会館から奥へ行く道が通行止めにしてあったので会館に入り、職員さんに尋ねてみた。「あの道は門入へ通じているのですか?」「元は通じる予定でしたが、結局できていません」とのこと。難工事だからか?人が住んでないところへ道を付けるのは後回しにされたのだろうか?話を聞いた徳山会館の職員さんもホハレ峠から徒歩で門入に行き来する人はいるという。峠のお地蔵さんの横から鎖を伝って沢へ下りて門入へ行くのだそうだ。なぜか?

水没しない門入地区の山林は用地買収の対象から除外されていたため、多くの私有林が門入地区に残ってしまった。林業を営んできた人々は山林の管理を自分たちで行わなければならず、門入地区へのアクセスが必要だった。そこで、もともと道路を造る約束だったらしい。ところが水資源公団と旧藤橋村がこの取り付け道路である西谷道路の建設費200億円超の目処がたたないとして、一方的に計画を破棄してしまったそうだ。そのため今ホハレ林道を整備し直して門入までつなげようとしているらしいのだ(情報提供、nekoさん)。

徳山会館から奥へ行く道があった。 通行止めにしてあったが、門入へ行けそうに見える。
気になって徳山会館の職員に尋ねると、この道は門入に通じる予定だったが、結局通じてないという。