小関越(こせきごえ) 200m (2008.11.29) 地図
京都市山科区四ノ宮鎌手町と滋賀県大津市小関町の間の峠である。 小関という名前であるが、平安時代に東海道・東山道が通る逢坂の関(大関)に対し、北陸道のみが通る小関越えは間道的な意味合いで小関とされたというのが一般的である。 ところが奈良時代に、東海道は山背南部で木津川の谷を東へ遡り伊勢鈴鹿関を通っていたし、東山道は田原から近江国府を経由、美濃不破関を通っていた。また山科北行の北陸道は越前愛発関(あらちのせき)を通っていた。それが長岡京の時代にはこれらの三道は全て山科を通って近江盆地へ行くことになったため、関所も1ヶ所で用を足せるようになった。すなわち大関である。逢坂山北の鞍部・小関越えのルートが最短距離であるので、北陸道の当時の道筋も小関越えであった。それが逢坂越えに変わるのは平安時代である。大津市の札の辻を真っ直ぐ行くのが小関越えで直角折れして行くのが逢坂越えである。つまり逢坂越えは都市計画上の計画的な道路造成と思われるのである(足利健亮「古北陸道の復元」、増田潔「京の古道を歩く」より)。 |
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案内板 |
車を稲葉台にデポして山科側から峠道をトレースする。国道161号線のガード下を潜ると、普門寺の門前で道が分岐している。山際が旧道である。角っこの祠がいい味を出している。
国道161号線のガード下(15:25) | 普門寺門前の分岐(15:26) |
道は竹林や荒れ地の横を通って、割と直線的に登っていく。さすがに奈良時代頃の古道だけのことはある。道はとりあえず舗装されている。落ち葉散り敷きでダートだかなんだかわからない状態ではあるが・・・
竹林の横を登る(15:28) | 直線的に登る(15:33) |
さらに登ると、普門寺で分かれた車道と合流する。そこから峠はすぐである。
峠には延命地蔵さんがいた。けっこう大きめなお堂である。世話をする信者さんも多いようでベンチが備え付けられていた。
車道と合流(15:36) | 峠(15:39) |
小関峠、谷内地蔵堂の延命地蔵菩薩 |