歌姫峠(うたひめとうげ)  86m (2005.5.8) 地図 

奈良県奈良市佐紀町−奈良市朱雀
中田紀子著「奈良大和の峠物語」に掲載。平城京の大極殿跡からまっすぐ北上する県道751号、木津平城線にある峠で、飛鳥・奈良時代に山陽道・山陰道だったらしい(武部健一著「古代の道」より)

「古代の道」によると東海道・東山道・北陸道は奈良坂を通ったという。ところが壬申の乱では近江朝廷軍は歌姫峠を通って飛鳥や吉野の大海人皇子を攻めようとしたらしい。古代なら最短距離で行こうとするはずだが・・・ 近江朝の頃は奈良坂の道はなかったのだろうか?・・・でも最古の道、山辺の道もあるしねえ・・・わかんないなあ。
平城宮・朱雀門



何はさておき、かつての平城宮跡に復元された朱雀門を見学してからスタートする。復元工事が行われている大極殿を左に見て、佐紀駐在所の信号を直進。道は緩い登りで車の離合が難しいくらい狭い。そんな状況を和らげるようなお地蔵さんが道の真ん中に鎮座していた。しかしこの地蔵、珍しい双体仏なんだな。
大極殿の復元工事中(8:08) 道の真ん中に鎮座する地蔵(8:12)



で、少し行ったところに天神さんのような祠がある。どうやらここが最高点、歌姫峠らしい。大極殿からはダラダラ登ってるだけであ。祠の奥には広場と歌姫町のバス停があった。
最高点(8:15) 祠の奥には歌姫町のバス停(8:15



拍子抜けなので、もう少し探索する。道が少し下りだすと、延喜式内の肩書きを持つ神社が現れた。添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)である。速須佐之男命(はやすさのおのみこと)櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと、八岐大蛇の難をのがれ、須佐之男命の妃となった)、武乳速命(たけちはやのみこと、添の御縣の地の祖神)を祭神とした農業の神様だと説明板に記されている。

現在の奈良市は、古代は、「添上」「添下」(そうのかみ・そうのしも)と呼ばれていたようで、添上は現在の奈良市と天理市。添下は現在の奈良市と大和郡山市にあたるそうだ。よって添御県坐神社とは奈良市付近に存在する神様を祀った神社とでもいう意味のようだ。
添御県坐神社(8:20)


実はこの神社の先から峠らしく傾斜が急になるのだが、今日のメインは奈良・大阪間を結ぶ峠なので、京都方面はこれくらいにしておく。