和歌山県那智勝浦町湯川−那智勝浦町天満
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和歌山県那智勝浦町湯川と天満の間にある熊野古道・大辺路(おおへち)の峠である。 |
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ゆかし潟 |
熊野古道は、ゆかし潟の畔を回りながら進む。明治時代に郵便配達員が叫んだという「呼ばずの坂」(大した坂でもない)を経て、進む。池を過ぎると、川端の水路の下を潜ったり、けっこう辺鄙な道を行く。
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登り口 | 小ピーク | |
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湯川の老人施設 |
そして国道の湯川隧道手前から製材所へと入っていく。手前に大きな看板があるからすぐわかる。製材所の人から自転車では無理と止められた。その手の話はお手の物だから、
「雲取越えも行きましたよ」
と言ったらあきらめてくれた。
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湯川隧道手前から | 製材所へ入っていく | |
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大辺路の看板 | 製材所 |
製材所奥の入り口はこんなふう。さすが心細くなるようなものである。しかし道案内の立て札があるからどぉってことはない。間もなく木造りの急な階段が出現。
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入り口 | 道案内の立て札 | |
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木造りの急な階段 |
登るにつれ、石段も現れる。その石段を登ると「加寿地蔵尊」の幟が。それなりの曰く因縁があるようだ。登っていくと峠近くに同じ赤い幟が見えた。
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石段も | 「加寿地蔵尊」の幟 | |
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峠近くに |
注連縄がしてあり、お地蔵さんがいた。実際の加寿地蔵尊はもうひとつ上に登ったところに鎮座しているが、私ゃ峠が目的だし、そこまで登る気がしなかった。
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峠手前は色んな案内や解説板があった。この携帯サイト、ちゃんと反応するからバーコード読み取りをかけてみてください。
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峠手前 | 加寿地蔵由来 | |
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峠は岩場の切り通しのような場所になっていた。木の杭に「駿田峠」と書いてあった。
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峠 | ||
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峠から下る。比較的道が良いので、所々乗って下ってみた。ふかふかの落ち葉の道でとても気持ちが良い。
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峠から下る | 乗って下ってみた | |
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ふかふかの落ち葉の道 |
降りていくと、見晴らしの良い場所に出た。海縁のホテル群が見える。そして麓の町も。そこにあった張り紙を見てビックリ。昭和の始め頃まで、この峠道はリヤカーやオート三輪が通る道だったそうだ。
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見晴らしの良い場所 | 海縁のホテル群 | |
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麓の町 | ||
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そして、車道に出るところには「加寿地蔵映画撮影中」なる看板も立てられていた。そういえば峠にこんな看板もあったけど、冗談だと思ってたよ。そして車道に出ると、熊野古道は勝浦観光ホテルの前を通り、国道に向けてまっしぐらに降りていった。
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「加寿地蔵映画撮影中」の看板 | 車道に出るところ | |
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峠にこんな看板 | 勝浦観光ホテルの前を通り | |
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国道に向けてまっしぐら |
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