杉ヶ峠(すぎがたわ)  240m (2006.10.6) 地図

山口県美東町絵堂(えどう)銭屋(ぜにや)美東町赤郷
山口県美東町銭屋と赤郷の間にある県道32号線にあり、※赤間関街道(あかまがせきかいどう)の中道筋(なかみちすじ)にある峠だ。

国道490号線から銭屋で分かれ、山間に入る。ここは徳川幕府が寛永通宝を造る際、全国に設置した鋳造所のひとつで、「長州の銭屋」といわれていた。写真の場所は「長州藩銭座跡」で全国でも唯一保存状態が良いところなのだそうだ。
長州藩銭座跡
※赤間関街道
長州藩内の道は萩城下を起点に作られていたが、最も重要なのが藩主が参勤交代に使う「お成り道」としての萩往還であり、次に萩と領内最大の商港・赤間関(下関)を結ぶ赤間関街道だった。赤間関街道には日本海沿いにつけられた「北浦道筋」、深川から山間部に入る「北道筋」、そして、萩往還と重複する明木
(あきらぎ)から秋吉、吉田、小月、赤間関へと至る「中道筋」の3本のルートがあった。

防長両国の正保道帳
(しょうほうどうちょう)によると、山陽道・石州街道・萩往還が「大道」に格づけられた。そして赤間関街道のうち、ここ「中道筋」は赤間関と萩を最短距離で結び、藩主の通常の通行路でもあったため「中道」に格づけられた。なお「北道筋」は「小道」、「北浦道筋」は海沿いの道という「灘道」に分類された。



銭屋付近の旧道を過ぎ、新道に入ると、きれいな2車線道になる。そのまま少し登ると峠に達する。
県道32号線銭屋のヘキサ 峠(西側より)



峠も2車線道だが、東側から1車線の旧峠?に入れる。落ち葉散り敷く道であるが、これでも車道で通用する広さだから旧々道は掘り下げられて消滅したか別道だったのかもしれない。
峠(東側より)、旧峠が口をあけている 旧峠(西側より)



旧峠から少し下りた民家の前で旧道と新道が合流している。構えは古そうだが、造作を見るとそんなに古くもないような家である。道はそのまま赤郷へと下っていく。
民家前で合流

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