木曽川・長良川背割堤 (2002.4.29) (地図)  往復 25km


     プロローグ
江戸時代、木曽・長良・揖斐の三川は、支派川を通じて網の目状に流れ、洪水や悪水に悩まされていた。薩摩義士による「宝暦治水」や明治政府のオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケ氏による「三川分流工事」の実現によって洪水被害は激減した。


その分流工事の最たるものがこの背割堤防である。背割堤防上には松林があり、有名なものは木曽三川公園下流、長良川と揖斐川の背割堤にある千本松原である。木曽川・長良川の背割堤には延々と桜堤防が続き、桜の名所となっている。

長良川の右岸堤防上にある道の駅「クレールひらた」に車をデポして、スタートする。道の駅のそばにある南濃大橋を渡り、羽島市に入る。橋から直接堤防に出られないので、苦労するが、「大須観音代替バス乗り場」の前から堤防へ登るのが一番簡単だ。

堤防を下流へ進むと間もなく「木曽三川分流碑」がある。ここから下流が木曽川と長良川の背割堤である。30年前、高校入学前に一度来たことがある。お天気が悪く、鉛色の空のもと地道だった堤防をゴトゴトと下っていった覚えがある。今は当然舗装されているのでは?と思っていたのだが、何とダートのままだった。
   木の中に木曽三川分流碑がある

木曽川と長良川の背割堤、東海大橋あたり 桜堤というほどだから長良川の水面は桜で見えない。桜が途切れると養老山地がだんだん迫ってくるのがわかる。

背割堤の中ほどに東海大橋がある。背割堤が橋桁がわりになっていて面白い景観だ。橋にも上がれるが、背割堤をそのまま走ろうとするなら橋の下を潜る。

東海大橋の下流1qほどにグライダーの発着場があった。どこかの大学の持ち物なのか、若者多数に中年が混じって、おりしも飛び立つところだ。ワイヤーに引っ張られて飛び上がっていくのを見ていると、ジェット機の離陸みたいに急角度で上がるのには驚いた。帰りに念入りに見てたら、ワイヤーは1qほど先に置かれたウィンチで引っ張っているようだった。

このあたりはグライダーをはじめ、モトクロスのサーキット、モーター付きハンググライダー、パラグライダー、水上スキー、ラジコン機、釣り、潮干狩り、オートキャンプ、バーベキューなどアウドドア花盛りのエリアであった。

そんな背割堤も「木曽三川公園」の1q上流でやっと舗装になった。車は少なかったが、自分の巻き起こす埃と相まってアチコチうっすらと土埃にまみれていた。「木曽三川分流碑」から「木曽三川公園」まで約10qのうち9qがダートであった。

「木曽三川公園」まで来ると、背割堤は対岸の千本松原に移る。公園も対岸にあるが、下ってきた背割堤の延長上に「木曽三川公園」の第3駐車場があってトイレもあるため、こちら側からスタートしても良いだろう。
 対岸に「木曽三川公園」のタワーが・・・

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