笹子峠 1080m (2009.6.27) 地図 2.5万図 

山梨県大月市笹子町(ささごちょう)黒野田(くろのだ)上麻生−甲州市大和町(やまとちょう)日影(ひかげ)
山梨県大月市笹子町黒野田と甲州市大和町日影の間にある甲州街道の峠である。また最近では街道てくてく旅で勅使河原郁恵が越えた峠でもある。

この峠は現在も中央道・国道20号線・JR中央本線などの長大トンネルがあって日本の大動脈のひとつである。また国道20号線の旧道をトレースすると、峠近くに古いトンネルもあって1粒で2度美味しい峠である。

峠を越えてトンネルで元の場所に戻って来る。カーサイクリングでは理想的なパターンである。しかし、そのトンネルも長くて狭い交通量が多いと悲惨なことになる。笹子峠の国道20号線はそんな悲惨なトンネルである。2953mと3km近くもあるのに歩道もなく路側帯も狭いからである。
新笹子隧道(笹子側)



下の地図はGPS軌跡である。
地図をにらんで考えた。現国道の新笹子隧道を走る気はない。旧国道の笹子隧道上だけアタックするのもつまらない。となるとトンネルは鉄道利用するしかない。つまりトンネルの両側の駅に自転車と車を置いて自分だけ鉄道に乗れば輪行しなくても良い。実際に熊野古道の曽根次郎坂・太郎坂でこの方法をとった。

GPS軌跡地図


まずは笹子駅に自転車を置き、車で甲斐大和駅まで戻る。車を駅付近にデポして単身列車に乗って笹子駅で下りる。置いておいた自転車に乗って峠へスタートという段取りだ。駅には矢立の杉の幟が立ててあった。杉良太郎でおなじみ・・・と書いてある。そんなに有名なのか?

甲斐大和駅から列車に乗って笹子駅で下りる(7:21)
矢立の杉の幟(7:29)



笹子駅からまず国道20号線へ出る。相変わらず矢立の杉の看板が目立つ。少し登ると旧道との分岐が現れる。旧道は県道212号線。旧道もそれなりに風格がある(^^;)

国道20号線(7:43)
旧道分岐(7:50)



旧道へ入って登っていくと、さらに甲州街道の標柱が出てくる。車道でなく江戸時代の山道である。岐阜市出身のテッシーこと勅使河原郁恵が歩いた道である。こんな旧道でも大月行きのバスが走っている。もっともこの少し上が終点だったけどね。

甲州街道との分岐(7:53) 甲州街道
大月行きのバス(7:54) 山間に入る(7:58)



少し登ると、甲州街道が合流してきた。先ほど分岐した道である。案の定、山道だった。どんどん登っていく。旧道もヘアピンなどカーブが多くなってくる。

甲州街道が合流(8:07)
やはり山道 カーブが多くなってくる



角っこに簡易トイレのあるカーブから山道が口を開けていた。甲州街道である。ここから800m登れば矢立の杉だという。しかし山道の800mだからね。車道(旧道)で行く1.7kmの方が楽だろうなあ・・・送電線を見ながら旧道を登る。そして矢立の杉入り口到達。ここから歩道を矢立の杉まで行くらしい。

甲州街道が分岐(8:14)
旧道より(8:22) 矢立の杉入り口到達(8:29)



歩道を自転車で少し下ると、なんとなんと、この山中に杉良太郎が作詞作曲した『矢立の杉』の歌碑と身代わり地蔵があった。さすが杉さま、剛毅なことだ。『ここは甲州 笹子峠』とか『千年の杉』とかうまく歌詞に載せるわい・・・

実際の矢立の杉は下の写真。ちゃんと旧甲州街道ばたに屹立している。なんでも合戦前にこの杉に矢を射立てたからこの名がついたのだという。それがほんとかどうかはわからないけれど、大木ゆえの受難だよなあ。

矢立の杉の歌碑(8:35)
矢立の杉(8:30)



さらに登ると黄色いゲートがあった。かなり上なのにここまで来て通行止めにされるのもなあと思う。そしていよいよ峠の鞍部が見えてきた。県道212号線の標識が出てきたり、矢立の杉以来の甲州街道が合流してきたり

ゲート(8:39) 峠の鞍部(8:41)
県道212号線の標識(8:48) 甲州街道が合流(8:55)



合流点から少し登ったところが旧道トンネル・笹子隧道だった。笹子側は煉瓦造りで天城隧道を思わせる。両側に柱調の造作もあってなかなかモダンである。それだけに天城どうよう登録有形文化財ということになっている。トンネルを潜って大和側に出てみると、煉瓦というよりコンクリートブロックを積み上げたような出口になっていた。

甲州街道・笹子峠の直下にある笹子隧道
旧道トンネル・笹子隧道(8:57)
笹子側(8:59) 登録有形文化財
大和側(9:05)



笹子側に戻り、トンネルの右にある旧道入り口から峠へと山道に足を踏み入れる。この付近クマ出没注意の看板もある(~_~) しかし、いきなりの急坂である。UV状の道を滑りながら登る。のっけの急坂をよじ登って振り返っても、うまく写真が撮れないくらいの坂だった。

トンネルの右にある旧道入り口から峠道へ(9:09)
UV状の急坂(9:10) 入り口を見下ろす



そこからは山腹をトラバースしながらジグザグにスイッチバックして登る。

山腹をトラバースしながら(9:12) ジグザグにスイッチバック(9:14)



そうして登りついたさきに峠があった。山登りの途中の地点とでもいうような標柱が立ててあった。笹子駅約2時間と出ている。遊びながら来たけれど、まさにその通り。ドンピシャだった。

笹子峠(9:23)・大和側 笹子峠・笹子側



大和側へ下る。こちらはスイッチバックはほとんどなく、直線的な下りだ。それだけに少し乗車できたくらいだった。旧道に出るまでに唯一のスイッチバック地点に頭半分が割れた石仏があった。馬頭観音さんのようだった。旧街道はスイッチバックした後すぐに旧国道へ下り、横切ってさらに下っていく。

大和側へ下る(9:30) 直線的な下り(9:34)
スイッチバック地点に馬頭さん(9:38) 旧国道を横切って(9:39)
さらに下る(9:41)



ということで、例によって旧道の山道部分を動画にしてある。




車道を少し下ると東屋があった。このあたりはつづら折れの車道を旧街道がクロスしている。次のカーブは甘酒茶屋跡だった。さらに下ると甲州街道と合流。最近は歩けるように整備しだしたと書いてあった。そのままを車道を下ると桃の木茶屋跡。

東屋(9:43) 甘酒茶屋跡(9:45)
甲州街道との合流点(9:53) 桃の木茶屋跡(9:57)



あとはそれらしい遺跡もないので下るだけ。といってもヘアピンは多いし、麓の町が見えるポイントもあるのでチョイチョイ止まって撮影した。その麓の町であるが、駒飼宿(こまかいじゅく)である。その名のとおり笹子峠の麓の町として馬に水や餌やりをした宿場であったそうだ。

ヘアピン(10:00) 麓の町(10:03)
駒飼宿(10:05) 駒飼宿の脇本陣跡



脇本陣跡や本陣跡など標柱や看板が立てられている。

駒飼宿本陣跡
駒飼宿の看板 駒飼宿入り口付近(10:12)



中央道のガード下を潜って下っていくとバス停横にまたも看板があった。そこまで来ると国道20号線はすぐそこであった。

バス停横に看板(10:16)
最後の標柱 国道合流点(10:20)



甲斐大和駅まで登り返し、駅付近にデポした車を回収。笹子隧道を潜る。その手前に道の駅甲斐大和があるのだが、その横に初鹿野洞門がある。

初鹿野(はじかの)という地名は昔ニューサイクリング誌によく登場した。私が高校生でサイクリングを始めたばかりの頃、何度もニューサイ誌の紀行文に出てくるその地名は麻薬みたいなものであった。特に群馬の月夜野(つきよの)と並んで美しい響きだった初鹿野は私にとって二大憧れの地だった。月夜野は群馬の峠漁りで何度かお邪魔していたので、最後の憧れの地が齢50の半ばを過ぎてやっと立てたのであった(>_<)

道の駅・甲斐大和 初鹿野洞門



新笹子隧道を笹子側に出て国道を走っていたら「笹子餅」という看板が目に入った。ふーん、そんなお菓子があるんだ。笹子峠を越えたからには食べずばなるまいと探していると、国道端に写真のような工場があった。

およそ、銘菓という雰囲気ではないが、入っていってみると、社長の奥さんらしきおばさんが出てきて応対してくれた。笹子峠を越えてきたというと、矢立の杉の話(杉良太郎の歌碑がある)とかしながら、商品説明をしてくれた。笹子餅はヨモギ餅のなかに粒あんが入っていて、真ん中の白餅は酒餅とのこと。決めかねていると試食できるよと昨日の残りだと試食させてくれた。

道の駅・甲斐大和 初鹿野洞門

それもあってお土産にひとつ買ったのだが、生ものだからか、えらく足が早い。賞味期限、左側の袋が2日間で、私が買った右の箱が3日間。土曜日に買って日曜日に帰宅したから写真を撮る間もなく食べてしまった(^^ゞ

商品説明とかくわしくはこちらを見てもらうとよくわかる。かつては横川にある峠の釜飯とか、奥羽本線・峠駅の力餅などのように笹子峠や中央線の名物だったらしいのだ。



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