才峠(西峠) (さいとうげ 39m (2012.7.16 ほか百回以上) 地図 2.5万図

岐阜県岐阜市椿洞(つばきぼら−岩崎
岐阜県岐阜市椿洞と岩崎の間にある東海自然歩道の峠である。

標高39m、登り口との標高差がほんの20mというミニ峠で、北(左)側の眉山(231m)と南(右)側の鶴山(180m)の間にある鞍部にある。

この峠は低い上に岐阜市北部の裏道的存在なので百回以上越えている。峠の条件は揃えているのだが、いかんせん今まで名前が付いてないと思っていた。
才峠(西峠)遠望


ここに峠名があるとわかったのは、ひょんな偶然からである。母と食事会をした後、その母が不要になったからと古いゼンリンの住宅地図をくれた。1992年版だった。20年前のものでも地形などそう変わってはいない。何とはなしに眺めていると、いつものトレーニングコースに峠の表記を見つけてしまった(゚o゚)

才峠と西峠の名がある。ふつうだったら単なる地名と思うけれど、地形的にも完璧な峠だし、住んでいる人に確かめるしかない。

才峠 (西峠)



ということで行ってみた。ただひとつ不安材料があるとしたら東海自然歩道のこの峠から下りてから石谷へ越える峠も同じ才峠なのである(参照、ブログ記事)。

で、実際に椿洞側の人に確かめてみた。ゼンリンの地図で住所を見たという前提を示してから、
「ここの峠はなんて言うのですか?」「ええと、なんだっけ?」隣の母親にも確めてから「そう、さいとうげ」と答えてくれた(^^;)
そこへ追い打ちをかける。「東海自然歩道で石谷に抜ける峠も才峠って言うのですがねえ。」
「あ、そう。でもここも『さいとうげ』ですよ」
「そうですか。それと岩崎側にも西の峠って書いて・・・あっ!『西峠』と書いて『さいとうげ』って読ませるのですね。ありがとうございました」
この問答で殆ど答えが出てしまった。念のために周囲を回ってみて、こういう看板を見つけた。

遠くの看板 近づいてみると
才峠



しかし、反対側の岩崎の西峠というのも確認してみる必要があるので、岩崎側の住人にも確かめた。
「ここの峠はなんと言うのですか?」「『さいとうげ』やよ」
『西峠』と書いて『さいとうげ』と読むんですね」「そうそう」
「ありがとうございました」

というわけで、ここからがレポート。まずは椿洞側から登る。道沿いの水路は先のブログ記事に出ていた石谷との境にある才峠と椿洞畜産センターから流れてきた川である。

椿洞側から登る 川を渡って(角っこに東海自然歩道の標識)
登りだす



竹林の横を通りながら登る。山の斜面に沿って真っ直ぐ登っていく。途中にも東海自然歩道の標識がある。峠近くまで来ると南側から登ってきた道と合流する。

竹林の横を登る 東海自然歩道の標識
峠近くで南側からも登ってくる道と合流 南側から登ってきた道



そして峠。峠には観音さまが祀ってある。峠ゲットの喜びに浸りすぎていて観音さまの種類など特定しなかったのは迂闊だったが、いつものトレーニングコースだから、またの機会にしよう(^^;)

峠(椿洞側から) 峠(岩崎側から)
岐阜市、東海自然歩道の才峠(西峠)
峠の観音さま



峠から下る。もともとの標高が低いために峠道の道沿いはずっと住宅地に利用されている。よってすぐさま家並みが続く。しかし少し下りたところから北側の山・眉山に登っていく分岐がある。それが眉山への道である。

峠から下る 岩崎側の住宅地
眉山に登る道



麓まで下ると神社がある。村社白山神社である。由来は調べてないのでわからない(^^ゞ そして信号交差点に出る。国道256号線(新道)である。

村社・白山神社 国道256号線



ところで冒頭の写真とか文章を覚えておいでだろうか?この峠は(左)側の眉山(231m)と南(右)側の鶴山(180m)の間の鞍部にある。斉藤道三が義龍と長良川の戦いに臨む前に陣取った鶴山が右側にある山である。下の写真は斉藤義龍がいた稲葉山城(現・岐阜城、金華山)と道三が陣取った鶴山などを一枚の写真に収めたものである。

峠(椿洞側から)峠(岩崎側から)



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