呑水峠(のみずのたお)  250m (2006.10.6) 地図

山口県美東町(みとうちょう)長登(ながのぼり)美東町大田
山口県美東町長登と大田の間にある国道490号線の峠である。ここは幕末に高杉晋作の進歩派と長州藩の保守派とが戦い、進歩派が決定的な勝利をおさめて倒幕へと進んだ戦場跡である。

下の峠から下ってきて国道に合流する。そこから少し登り返したところが峠である。

国道に合流する



峠には戦いの解説板があり、倒幕に至る※長州藩の経緯が書かれている。
絵堂の開戦看板 萩政府軍本陣跡の門
※長州藩の経緯
1864年6月、新選組による池田屋事件が起きた。それに対し長州藩の過激派は暴発し、藩もそれを抑えきれず、家老三名が兵を率いて京都へ進発、7月、蛤御門の変(禁門の変)が勃発した。この変で、長州側は惨敗し、多くの志士や藩士が自決又は、戦死した。同7月、幕府は長州征伐(第一次長州征伐)を決定。長州藩内では保守派の俗論党が、進歩派の正義派を押さえ込み、政権を奪還した。俗論政府は、蛤御門の変の責任者として、三家老を切腹させ、四人の参謀を斬首させ、征長の実力行使は行われることなくすんだ。

その後保守派と進歩派の武力衝突により進歩派が勝利し、国論を統一した長州藩は1866年の第二次長州征伐で、幕軍に勝利を収め、討幕の路線を進んでいくことになった。

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