榁木峠(むろのきとうげ)  268m (2005.5.8) 地図 

奈良県奈良市三条大路−大和郡山市矢田町−生駒市小瀬町
中田紀子著「奈良大和の峠物語」に掲載。簡単に言えば暗峠越えの道筋、暗越奈良街道、すなわち国道(酷道)308号線にある峠である。

奈良から大阪間に横たわる生駒山地は断層山脈で、傾斜が急なのが特徴である。その生駒山地を越える道のひとつ暗越奈良街道は大阪(難波津)・奈良間を最短距離で結ぶために大いに利用された。

ここ榁木峠は暗峠の前にある矢田丘陵を越えて、奈良と生駒を結ぶ峠で、暗峠を大峠とすれば榁木峠が小峠に当たる。
平城宮・朱雀門から見た生駒山地(暗峠の鞍部も見える)



暗越奈良街道は奈良市三条大路から始まる。国道308号線を西へ行き、秋篠川を渡ると道が分岐する。大きい方はバイパスだが、旧道は左側の狭い道であるので当然狭い方へ進む。近鉄橿原線の踏切を渡る辺りは車の離合が難しいくらい狭い。
バイパスとの分岐を左へ(8:37) 近鉄橿原線の踏切(8:40)



国道はバイパスと合流して広くなったり、狭くなったりを繰り返す。畑のバス停先や、中町の信号の先など、えらく狭い。ネットで散々言われているとおり本当に狭い。
畑のバス停、車は離合できない(8:48) 中町の信号の先、国道は直進(8:54



富雄川を渡った先など田圃の中の田舎道という風情だよね。中町の山麓集落内は歴史を感じさせるお家が多いが、道が狭くて、傾斜も急えらく(゚o゚)。いったいこれはなんなんだ?もっとも自転車で走るぶんにはいい道なんだけど。
富雄川を渡った所(8:20) 中町の集落内(8:20)



劇坂に近い傾斜の道にも国道のおにぎり(ヘキサ)はあった。さらに進むと、左右が切り立った尾根道のようなところに出てきた。おまけに金網で仕切ってあって、ゴルフ場のカート道みたいな感じだ。おまけに第二阪奈道路が近づくあたりでは天下の国道も則道扱いである(--;)。
集落はずれの劇坂、前方かすかに見えるヘキサ(9:00) 第二阪奈道路脇を登る(9:02)



第二阪奈道路を陸橋で渡り、少し登ると追分本陣が現れる。白壁の立派な造りである。ここは大和郡山との分岐である。写真を撮りながら休んでいるとローディが会釈しながら追い越していった。お疲れさん。

追分の先に追分神社があった。神社といっても祠がある程度だが、急坂の途中にあると、つい手向けたくなる(*^_^*)、その先も今までと同じように尾根道が続いた。
追分本陣(9:09) 追分神社(9:15



「矢田山遊びの森」の前を通り、さらに登ると、榁木大師聖賢院がある。奈良の町が眼下に見渡せる。昔この辺り一帯は榁の木の大森林で、奈良の大仏殿建立に際し、多くの用材を切り出したのだという。
榁木大師聖賢院前(9:32) 榁木大師聖賢院前(9:32)



榁木大師聖賢院付近から少し平地になり、その先が急激に下っていた。そこに大地蔵があった。ここが目指す峠なのだ。
榁木峠(9:35) 大地蔵(9:35)



峠といっても榁木大師聖賢院や民家があるから峠という雰囲気ではない。それでも前後の勾配はやはり一級品である。劇坂と言っていい下りを少し進むと、矢田峠へ向かう山道が現れた。矢田丘陵の尾根伝いで近くらしいが、今日は暗峠がメインなので道草は止めることにした。でも行けば良かったかな?(--;)
榁木峠(9:35) 矢田峠へ向かう山道と劇坂(9:42)



しかし、その2分後にはごらんの大展望を見てしまう。生駒山頂から暗峠の鞍部までがつぶさに見てとれる。

しかし、この峠道、奈良側も生駒側も両方とも尾根道である。峠の表裏理論を超越している。両方とも行き先を常に目視でき、自然災害の影響を受けにくい尾根道だということは、ここがよほど古くから使われている自然発生的な道だと考えられる。

眼下の小学校付近に万葉歌碑があった。
「この上すぐ 万葉歌碑 暗越奈良街道」「右 砂茶屋 左 くらがり峠」と彫られている。
生駒山頂から暗峠の鞍部まで(9:44) 生駒の万葉歌碑(9:51



学校下の2車線道をジグザグに横切り、「通行不可、この先幅員狭し 2t以上ロングボディ車以上は通行できません」標識の道を麓に下る。急に麓に着き、近鉄生駒線を越えると川を渡る。万葉集にもよく登場する竜田川だ。

渡ったところに「暗峠 暗越奈良街道」の石碑があった。矢印の先には幅員1.3mを示す標識と車1台がやっとの道が伸びていた。どこまでも酷道の顔を緩めない308号線であった。
「暗峠 暗越奈良街道」の石碑(9:57) 幅員1.3mの道(9:58)


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