桃木峠(ももののきとうげ)  650m (2005.6.19) 地図 

長野県南木曽町読書(三留野みどの−南木曽町与川(よがわ)
長野県南木曽町読書(三留野宿みどのと南木曽町与川を結ぶ与川道にある峠。

中山道三留野宿(南木曽町読書)から野尻宿の間は木曽川の峡谷沿いに道があり、牧ヶ沢・羅天(らてん)などの難所はしばしば通行止めになった。その迂回路として開削されたのが与川道である。

与川道は本来の中山道に対し一里四丁三一間ほど長いそうだ。
三留野宿



南木曽町役場のある中山道三留野宿には「○○屋」と屋号のかかった旅篭風の家が多い。その宿の外れに与川道との分岐がある。本来の中山道が鉄道や国道の整備で旧状を留めていないため、自治体も与川道を「歴史の道」として整備したらしく、分岐点には立派な道標が立てられている。写真正面奥のお堂のような建物の横には「歴史の道・中山道」の案内図があるので、先に頭に入れて辿ると興趣が増すというものだ。

道は宿を右に見ながら急勾配の坂を登る。登り切った所から振り返ると、宿と谷が一望にできて素晴らしい。
中山道(左)との分岐を右へ登る(9:13) 三留野宿と木曽谷(9:23)



坂の頂上から民家の横を過ぎ、さらに車道を登ると、カーブをストレートに登る山道が現れた。旧道探索バージョンでMTBや山装備をしてきて良かった(^^;) さらに嬉しいことに石畳が残っていた。中山道では琵琶峠、十曲峠、馬籠などで見られるが、ここで出会おうとは思いもしなかった。
カーブをストレートに登る(9:27) 石畳(9:29



石畳を登り切ると廿三夜塔があった。二十三夜の月の出を祝い、豊作とか幸福を授かろうという民間信仰だという。車道に出てしばらく辿ると三叉路に出る。三叉路を下ると木曽八景のひとつ古典庵に行ける。与川道は標高を落とさず真っ直ぐ進む。
廿三夜塔(9:32) 三叉路(9:43)



車道をアップダウンしながら進むと正善沢を渡る。ここが三留野村・与川村の境界だった。正善沢から少し行くと、与川道は車道を外れる。階段とシングルトラック双方とも民家の横で合流する。
正善沢(9:48) 階段とシングルトラックへ(9:52)



民家横から草付きのシングルトラックを辿り、真っ直ぐ林の中へ入る。等高線に沿って道は進み、右下に車道と民家が見えてくるが、車道は切り通しになり、与川道はその横10mほど高みを通過する。この辺りは2.5万図によると胡桃田というらしい。その先で道は下り、すぐに車道と合流した。形状は峠のようでもあるが、表示は何もなかった。

松原御小休処(まつばらおこやすみどころ)の案内看板で桃木峠の存在を知り、根の上峠登り口・向田の人に尋ねて、ここ胡桃田付近が桃木峠と判明した。
林の中へ(9:54) 桃木峠(9:57 階段の先が桃木峠(9:59)



車道を辿り、下山沢を渡って登り返すと、また山道が出現した。いい加減疲れてきたが、道は下刈りしてあるので突入するのに躊躇はない。山道に入り、しばらく行くと、休憩所が現れた。トイレもある。三留野にあった案内看板もある。なになに?
「松原御小休処(まつばらおこやすみどころ)
御小休処とは高貴な方が通行する際に休息する所として整備された。享保16年の資料によると与川にも根の上峠・せおい出し松原・桃木峠などにあったのだという」

だと・・・
榁木大師聖賢院前(10:12) 松原御小休処(10:31)



松原御小休処で大休止後、出発。与川の谷に近づいてはいるが、まだアップダウンを繰り返す。竹林の中など昔の木馬道(きんまみち)を思わせるような光景だ。ひさびさに車道に出ると阿弥陀堂があった。外に諸仏もあるがお堂の中はガラス張りで大層なものが入っているようには思えない。阿弥陀堂の横からまた山道に入った。
竹林の中を登る(10:46) 阿弥陀堂(10:53)



複雑な山道を辿っていくと、ようやく里の気配になった。車道に出てから標識どおり進むと「らんかん橋」の看板に行き当たった。伏見家王女比宮(なのみや)が徳川将軍家に御降嫁するときに欄干のある立派な橋を架けたことに由来する地名だそうだ。看板の手前にあったのが当時の「らんかん橋」の場所のようだが、行き先が下り傾斜になっていたのでそちらが「らんかん橋」と思い、写す橋を間違ってしまった(^^ゞ

写真の橋の辺りが与川の谷を詰め、根の上峠に登りだすターニングポイントのような場所である。
らんかん橋の看板(11:14) 谷を渡る(11:16)

根の上峠へ