三ツ石峠 827m (2008.3.23) 地図
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岐阜県郡上市明宝気良と奥長尾の間にある鎌倉街道の峠である。 出典としては旧明宝村史からである。里道とは異なり、諸国から鎌倉に通ずる古い道ということで、北陸から檜峠や油坂峠を経て白鳥に入り、栃洞・寒水(かのみず)・気良・奥長尾・日出雲(ひづも)・馬瀬・小坂・安房峠・信州といった経路をたどって鎌倉に向かう間道であったという。 そのうちの三ツ石峠、今回は経路と反対側の奥長尾からアプローチした。 |
奥長尾川の谷 |
道の駅「めいほう」に車をデポして国道472号線を走る。小保木で国道から外れ、吉田川を渡って奥長尾川の谷へ入っていく。
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国道472号線・小保木より奥長尾川の谷へ入っていく | 吉田川を渡る |
奥長尾増圧ポンプ室の所で大柿橋(おおがきはし)を渡る。橋の手前に石仏が2体あった。野の仏という感じで好ましい。谷をドンドン詰めていく。集落の最後の辺りで道を聞いてみる。奥長尾林道があるように聞いていたからだ。お宮さんの前を通って、とにかく舗装路を行けということだった。
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虚空蔵菩薩前から | 橋の手前に石仏2体 |
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山の左側が気良峠方向 | 集落の最後の辺り |
お聞きした神社・白山神社の前を通って道は先へ伸びている。山間に入る所に奥長尾林道の標柱があった。林道に入ってすぐに雪を見た。お彼岸も過ぎているというのに雪が残っている。ここは600m付近。近くにめいほうスキー場があるというロケーションだから仕方ないか(ー_ー) 直後に最後の家を過ぎる。
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白山神社 | 奥長尾林道 |
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雪が残ってる | 最後の家を過ぎる |
最後の家を過ぎると残雪地帯?枝打ちした木々を道に置いてあるのは雪解け促進のためだろうか?橋に雪が残っている。自転車が自立するくらいの深さがあるが、それでもかなり柔らかくなっている。そこから劇坂のヘアピンカーブをこなして登る。倒木地点もあったが、大したことはない。
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残雪地帯? | 橋に雪が |
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自転車が自立する深さ | 倒木地点 |
倒木地点の先に3差路がある。道を聞いた人曰く、舗装してある方へ行けとのことで、左へ進路をとる。分岐点に林道名のプレートが埋め込んである。昭和63年度明方村(みょうがたむら)とある。ここは1897年に大谷村・寒水村・気良村・奥住村・小川村・畑佐村・二間手村の合併により奥明方村ができ、1970年に明方村と改名。1992年に明宝村と改名された。その理由は
1.明方村を「みょうがた」と呼んでもらえず、「めいほう」と呼ばれてしまうこと。
2.奥明方農協(現在、めぐみの農協)が、村特産の明方ハムの生産工場を八幡町に移してしまい、増産要求にも応えなかったため、村が明宝ハムを開発したこと。
3.平成元年に開業しためいほうスキー場がブレイクした。
からであった。そんな明宝村も2004年には平成の大合併により郡上市となって明方ハムの生産工場とも同じ市になったから、結果的にはコップの中の嵐だったが、村名を変えるほどとは山村の暮らしにとっては大事件だったのだろう。
分岐を過ぎると送電線が見えてくる。いよいよ峠も近い。
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3差路を左へ | 林道名のプレート |
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送電線が見えてくる | 影崩れ |
道端に廃車の放置プレイである。ええ加減にしいや!こんなとこにまで捨てに来るなよ。そんな幻滅感を救ってくれたのが峠の遠景。ゆるやかに撓んだ稜線が美しい。横に目を向けると送電線。なんとなくホッとした。
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放置車両 | 峠遠景 |
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送電線 |
このあと山菜取りのふたりに声をかけられた。
「下には山菜はたくさんあったかね?」
「いいや、そんなもん取ってませんよ〜(アホちゃ〜う)」
なんでも自分と同じだと思ったら大違い。世の中にはいろんな人間がいるんだ。気を付けなさいよ〜
てなシーンがあった後に峠に到着。峠は二間手水沢上林道(ふたまて・みぞれ)との交差点になっていた。そのおかげで峠の鞍部は埋め立てられていて、峠のモニュメントもなにも見つからなかった(ToT)
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峠到着 | 峠は林道に埋めたてられていた |
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反対側から峠を見る | 二間手水沢上林道の碑 |
峠には名古屋ナンバーの車が止まっていた。おそらくさっきの山菜取りだろう。ご苦労なこった。そういう私も五十歩百歩だがね(^^ゞ
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気良側より峠を見る | 気良側 |
気良側に下り出す。ヘアピンカーブがけっこうある。下りだして西方の山に注目。山の鞍部は伊妙峠ではなかろうか?ここから見たら確かに一直線で御家人達が「いざ鎌倉」とはせ参じた軍道としての鎌倉街道と言っても過言ではないだろう。その後ヘアピンの連続をこなして、宮原林道との合流点にさしかかる。
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ヘアピンカーブ | 伊妙峠? |
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ヘアピンの連続 | 宮原林道との合流点 |
麓近くまで来ると教如上人の石碑が建っている。なんでも石山本願寺の合戦の後、追っ手を逃れて、西気良のオゾに隠れ住んだといわれる教如が初めてこの地に入った時、オゾの向かいの中畑で休んだことから記念碑が建てられたという(明宝村史)
麓の宮原まで下り、宮原川と気良川の合流点手前にある大谷橋から国道へ向けて走る。
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教如上人の石碑 | |
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麓(宮原) | 麓の宮原 |
国道へ出る手前、明宝小学校を過ぎたところに明宝ハムの工場があった。村の象徴的な建物が2つある。この地域が村の中心だったのだなと思う。その証拠に国道へ出た地点から少し遡った二間手に村役場があったからだ。
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明宝小学校 | 明宝ハムの工場 |
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国道へ出た地点(気良口) |
最後にハンディGPSで取ったログを載せておこう。
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