檜峠(美度呂坂、みどろざか) 110m (2008.11.29、以前に数限りなく) 地図 

京都市北区上賀茂狭間町−左京区岩倉幡枝町
深泥池(みどろがいけ) 京都市北区上賀茂狭間町と左京区岩倉幡枝町の間にある鞍馬街道・東街道の峠である。

出典は「京の古道を歩く」増田潔著・光村推古書院である。それによると『山塊記』治承2年(1178年)1月23日の一文に

辰の剋、大雪を凌ぎ、中山堂より鞍馬寺に参る。美度呂坂に於いて、右少将(平)維盛朝臣に逢う

とある。つまり峠の地蔵尊の前で筆者・中山忠親が重盛の子の維盛と出会ったということだ。

この美度呂坂とは現在の深泥池(みどろがいけ)から登る坂道のことである。
深泥池



深泥池は周囲1.5qの小さな池である。高層湿原として、氷河時代の生き残りである貴重な動植物が棲息しており、昭和2年(1927年)に「深泥池の水棲植物群落」として国の天然記念物に指定された。また昭和63年(1988年)には昆虫などを含めて「深泥池生物群集」に名称変更された。

しかし、京都で深泥池といえば心霊スポットとか幽霊話がささやかれることで有名である。地図からもわかるように坂の中腹には病院もあったりして舞台が揃っている。女性を乗せたタクシーがこの池まで来ると忽然と姿を消すなんて、どこにでもあるような話なんだけどね〜、私ゃ、大学のサイクリングクラブの先輩から聞いたよ(^^ゞ

まあ、こんな話はここの雰囲気もあろうが、「みどろがいけ」とか「みぞろがいけ」なんて「吸血鬼ゴケミドロ」の元になったような語感から面白おかしく連想されたのではないだろうか?「吸血鬼ゴケミドロ」は1968年制作の映画だから、私が京都の大学に入る数年前である。うん、時期的にもピッタリ合うぞ。




そんな深泥池畔に東南側から入り、撮影したあと西側に回り込むと、こちらにも天然記念物の石碑があった。池畔を通る主要道もある。

天然記念物・深泥池水性植物群の石碑 深泥池生物群集の看板
天然記念物・深泥池水性植物群の石碑



そのまま池畔の道を走る。池の北岸で路線バスが来た。決して広い道ではないのだけれど、昔からバスが走っている。市バスではなく京都バスなんだな、これが。当時でも台数的には京都市内は市バスの方が断然多かったが、郊外、鞍馬とか北山へ行くようなバスは京都バスだった。

この先が美度呂坂の坂道である。その手前にある分岐には京都博愛会病院の看板が出ている。そう。ここからが心霊スポットなのである(~_~)

池の北岸 京都バス?



美度呂坂を登りだす。紅葉真っ盛りの早朝なので幽霊も怨霊も出ようすがない(^^;) 坂の中腹には有料老人ホームの京都ヴィラ。こんなもん昔あったかなあ?でも、ちゃんとその名前の京都バスの停留所もあった。それにしても紅葉がきれいである。

坂の途中 京都バスの京都ヴィラ前



そしてすぐ峠である。その手前に『山塊記』に出てくる地蔵尊があった。摩滅してしまって顔などわからなくなっている。当時のままだとすると1000年近くに前ということになるが、そんなに古くは見えない(--;)

そして檜峠である。峠には岩倉自動車教習所がある。そういえば京都は学生が多いせいか、教習所や自動車学校が多かったような記憶だ。狐子坂の話で出てきた玄啄自動車学校もそのひとつであった。

『山塊記』に出てくる地蔵尊
檜峠



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