権平峠(こんべいとうげ)  480m (2009.5.29) 地図 

山形県飯豊町いいでまち小屋こや−川西町かわにしまち玉庭 たまにわ
山形県飯豊町小屋と川西町玉庭の間にある林道の峠である。

飯豊町須郷の県道4号線に写真のような分岐がある。立て札にはこれから行く集落・小屋の名前が書いてある。
分岐点に「小屋」の立て札



小屋川に沿って谷を遡って、小屋の集落中心地とおぼしき広場に着いた。昔は学校かと思えるような建物がある。そして大屋根に軽い反りがついている建物はお寺であったらしい。このお寺と向かい側の神社との間の道を登る。

昔の学校か?(9:25) 隣はお寺だったらしい
火の見櫓がレトロである お寺と神社の間にある道を登る



道の名前が知りたかったが、入り口の看板には「林道を利用する皆さんへ」としか書いてない。しかしおかげで林道ということはわかった。

右へ登る道へ入る(9:30) 「林道を利用する皆さんへ」の看板(9:30)



少し登ると小屋の集落が望める地点に来る。道は林道らしく幅4m程度の1車線道である。さらに10分ほど登ると峠に近くなった。

小屋の集落が望める地点(9:35) 道は1車線道



そして、傾斜がゆるくなって、広場のような場所に着くと、そこから先はダートになっていた。まだ登っているようにも見えるが、実質下りになったようなものである。しかもこの広場のような片隅には、ある石造物がおいてあった。

ここが峠か?(9:48) 登っているようにも見えるが、先では下りになる
先はダート



その石造物とはこれだ。御屋形様と彫られている。年は元治元年八月十七日。御巡○御○床所となっている。とにかく御屋形様が回ってきたということだけはわかる。年号にはうといので、御屋形様といわれた頃といえば、戦国時代か?と思い、それならここ米沢近辺なら最上か伊達かと思った。

ってわけで、再び麓に下りて、火の見櫓前のお家で聞いてみた。
「峠にある御屋形様って誰のことですか?」
「上杉だよ」
「あ、江戸時代米沢の!御屋形様だからてっきり戦国時代かと・・・」

元治は慶応の前に2年だけあった幕末である。水戸天狗党の挙兵、池田屋事件、禁門(蛤門)の変、第一次長州征伐、高杉晋作挙兵などがあった。しかし、そんな激動の時代に御屋形様って彫るかぁ?謎だ。
木々が覆い被さる(8:45)



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