笠松峠  760m (2008.10.31) 地図 

島根県浜田市金城町(かなぎちよう)波佐(はざ)−浜田市弥栄町やさかちょう三里(みさと)
島根県浜田市金城町波佐と弥栄町三里との間にある津和野藩への主要街道・鉄の道にある。

「定本・島根県の歴史街道」池橋達雄監修によると中通り往還の脇道で石畳が作られたのが文化8年(1811年)で全長1900mのうち1200mが残っており、現存する石畳道としては全国で2番目の規模だという。

峠道の標高差は300mと険しいが、よく整備されており往来が多い道だったそうだ。

国道186号線の傍示峠から下った波佐から県道115号・波佐芸北線へ入る。
GPSログによる旧道・石畳道



県道115号線を川沿いに進んだ亀谷原に「笠松峠の石畳路」の案内板があった。そこから峠道に入ることに。山裾から道はいきなり急坂になって林道に合流する。合流したところに速田神社があった。

波佐の入り口付近(県道115号線) 「笠松峠の石畳路」の案内板
道はいきなり急坂 速田神社



林道を登ると間もなく巨大な砂防ダムが現れた。そのはじに写真の案内看板があり、対岸にはジクザグの階段があった。ここからが旧道である。石畳とはいえ、山道だし距離も勾配もある。心してかかろう。

巨大な砂防ダム 広場の奥に石仏たちがいた


いったん砂防ダムの下まで降りて対岸へ渡り、砂防ダムの上まで階段を上がる。ダムの上から里が展望できるけれど、昔はこんな高みに登ってないだろうから場所は違うだろうなあ・・・

砂防ダムの下まで降りて対岸へ 看板が見える
砂防ダムから


山道になってすぐに次の砂防ダムが現れる。そのダムを過ぎるといよいよ石畳の始まりである。川原の石を敷き詰めてあるとのことだが、いやいやどうして結構な巨石もある。折り返しのスイッチバックも石畳で固めてあって格好いい。

次の砂防ダムが現れる 石畳の始まり
巨石も敷いてある 折り返しも石畳



石畳はところどころ途切れながらも続いている。斜面だけでなく真ん中が窪んだところに敷いてある。雨水が流れてもこれなら破壊されることは少ないだろう。

中間点あたりまで来ると立派な石碑が立ててあった。これが「石畳記念碑」だろう。「道普請出銀 文化八未九月」とあって発起主や世話人の名が書いてある。そこを過ぎると石畳の整備具合が悪くなる。石の周りがえぐれていたりするのだ。
笠松峠の石畳
          真ん中が窪んだところにも敷いてある
石畳記念碑 整備具合が悪くなる



道はだんだん深い塹壕状になってくる。しかし、まだ所々どころに石畳も残っている。高いところや勾配がゆるいところは雨水の浸食も激しくないせいだろうか?

塹壕状の道になる 所々どころに石畳



尾根近くになって乗ったり降りたりして進めるようになったところに巨岩があった。八合目の笠松地蔵堂と水呑み場であろう。水場といっても水も出てないし、お堂とか祠というより岩そのものである。こんなものでも昔の人は有り難いと思ったのだろうなあ。そして山道の先に空間が開け、なにやら看板が見えた。あそこが峠のようだ\(^o^)/ さて、それではここまでの道のりを動画で振り返ってみよう。

尾根近く
笠松地蔵堂と水呑み場 山道の先に空間
石畳の動画



峠に出ると砂防ダムで分かれた林道が来ていた。峠はブロックで固められた切り通しだった。峠を吹き抜ける風が山道を登って火照った体に心地よい。

峠の看板
(弥栄町町側) (金城町側)



峠から下ろう。金城町側に車を置いているので帰りは林道を下る。「林道 笠松峠線」そのまんまやぁ!
中腹まで来ると峠の切り通しがくっきりとしていて美しい。麓も所々で見える。

金城町側に帰ろう 林道 笠松峠線
峠が見える 麓も見える



砂防ダムまで降りてくると一直線に下りていく道が見えた。旧道か?
で、下の橋から降りてみた。畑のなかのゴテゴテ道だが、ここにも石畳があった。やはり旧道だった(^^;)
道はそのまま民家の横から舗装道へ出た。

砂防ダムの下に道が見える 砂防ダムから降りてみた
ゴテゴテの道だが・・・ ここにも石畳があった
民家の横から舗装道へ出た



舗装道は初めに登りだした道とは違い、少し上流にある亀谷原集会所の横に出てきた。

亀谷原集会所の横に出てきた


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