泉ヶ峠(いずみがとう)  650m (2006.5.19) 地図

愛媛県大洲市(おおずし)河辺町山鳥坂−内子町北表
愛媛県大洲市河辺町山鳥坂と内子町北表 の間にある県道56号・内子河辺野村線の峠である。ここは坂本龍馬脱藩のルート上にあり、昔は宿があって龍馬は脱藩後初めての夜を過ごしたという。

韮ヶ峠の後、榎ヶ峠−封事ヶ峠と2つの山越えをし、日除からは尾根筋を水ヶ峠・泉ヶ峠・耳取峠・石上峠と辿って宿間で肱川下りの船に乗った。

この脱藩ルートは道中番所を避けたものらしく、今でも山道ダートが多く、トレースは初めから無理と諦めていた。またここ泉ヶ峠も反対側からアプローチした。
内子町側からアプローチ



道は1車線の狭い道。棚田百選の泉谷棚田の近くを登る。ヘアピンの角っこに豪農の家とでもいうような家があった。
泉谷棚田の看板 ヘアピンを切って登る



そんな感じで登っていって峠に到着。内子町の看板がある。道の反対側には「坂本龍馬脱藩の道」の案内板があり、その横にはビックリするような勾配の階段があった。
泉ヶ峠、内子町の看板の反対側に・・・ 「坂本龍馬脱藩の道」の案内板と階段が・・・



看板によると、峠には数軒の家や旅館があって交通の要所として賑わっていたという。大洲市の看板など県道だけ見てるとそんな歴史は感じられなかった。本来の峠はこの上にあって、「龍馬宿泊の地」の石碑などがあるようだ。やっぱ山道を行かんとあかん。しかし、この階段は急すぎる。雨あがりのコンディションのなかで自転車を担ぐのは危険なのでやめにした。

それにしても一日で大越峠・藤の越・韮ヶ峠・榎ヶ峠・封事ヶ峠・水ヶ峠・泉ヶ峠という峠7連発(檮原から約50km)を徒歩でこなしてしまう幕末の日本人って、凄いなあ!
大洲市側 県道標識
越の峠へ