鹿児島県日置市吹上町与倉−鹿児島市中山町
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鹿児島県日置市吹上町与倉と鹿児島市中山町の間にある県道22号・谷山伊作線の峠である。 伊作峠の名前は昔ここ日置市吹上町中原にあった伊作城に由来する。戦国時代にここを拠点として島津忠良が南九州統一に繰り出し、戦国大名・島津氏雄飛のきっかけとなった城だそうで、鹿児島市と伊作を結ぶ旧伊作街道の新道がこの県道22号線だそうだ。 国道270号線から県道22号線に入る。 |
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国道270号線から県道22号線(右折)に入る |
県道を走る。指宿スカイライン谷山ICの表示が出ている。道沿いにどでかい一升瓶が現れた。宝山(ほうざん)と書いてある。夜は瓶の中に灯される明かりで光るようだ(^^;) 調べてみるとここ日置市吹上町与倉にある西酒造(株)という芋焼酎のメーカーのものだそうだ。創業は弘化2年(1845年)、江戸時代末期である。
またこの宝山の歴史ページには岐阜県とのつながりも書いてある。関ヶ原の戦いで島津義弘・豊久が徳川家康の本陣に突っ込み、そのまま退却していった。その退却経路が岐阜県大垣市上石津町の時山、越えた峠が五僧峠である。そしてそのとき戦死した豊久の末裔が吹上町永吉に移り住み、永吉島津家を興し、豊久のあとを再興したそうである。
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県道22号線 | 吹上町与倉地内 |
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宝山のどでかい一升瓶 |
道は2車線。旧道には石畳も残っているらしいが、知らずに行くとどこにでもある2車線道路や登坂車線を眺めて登るだけになる。また吹上浜は日本3大砂丘のひとつだそうだし、ウミガメも産卵に上がってくるという(下の看板)。とにかく全く予習してなかったので赤面するばかりである。
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道は2車線 | |
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登坂車線 | 日置市吹上浜の看板 |
そして伊作峠。峠には民家がある。峠の我が家である。その庭には多くのニワトリが放し飼いにされていた。珍しい烏骨鶏やチャボのようなのもいたね。
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伊作峠(鹿児島市側) | |
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伊作峠(日置市側) | 烏骨鶏やチャボ |
峠から少し下がったところに鹿児島市と日置市との境界線があった。小さな集落になっていて伊作峠のバス停もあった。1時間に1本程度の路線である。
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境界線(鹿児島市側) | 境界線(日置市側) |
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伊作峠バス停 |
峠から下る。標高差がしれているので、ゆったりした下りである。相変わらず2車線道が続いた。
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下り | ゆったりとした下り |
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鹿児島市中山町地内 |
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指宿スカイラインの谷山IC手前付近から鹿児島市内と桜島が見えた。 ちょうど噴煙を上げて活動中だったが、風下ではなかったので火山灰の影響はなく助かった。 |
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谷山IC手前から見た桜島と噴煙 |