仏坂ほとけざか、熊野古道・大辺路 330m (2010.11.27)  地図

和歌山県白浜町安居(あご)−すさみ町周参見(すさみ)
和歌山県白浜町安居とすさみ町周参見の間にある熊野古道・大辺路(おおへち)の峠である。

富田坂・安居辻松峠から下りてきた日置川に面した三ヶ川口からアクセス。
富田坂・安居辻松峠から下りてきた三ヶ川口(12:17)


昔は仏坂直下に安居の渡しがあったが、昭和29年に廃止されたため、迂回路からアクセスした。しかし、これからこの迂回路はベリーデンジャラス、大変危険で予約すれば有志によって復活された安居の渡しが利用できるため、普通の人は渡しを利用すべきであろう(予約方法などはこちら)。

仏坂の地図と案内道標 仏坂の地図



しかし私は富田坂を先に越えたため安居の渡しの予約時刻を特定することができなかった。よって迂回路を利用することにした。川下の口ヶ谷橋を渡って100mほど行って、また上流側へ進むと口ヶ谷の集落が途切れた辺りに写真のような案内看板が現れた。看板によると迂回路は平成14年にできたそうだ。

口ヶ谷橋を渡る(12:22) 迂回路の案内看板(12:35)



迂回路に入ると、いきなり道が狭くなって山の斜面に沿って登っていく。少し水平移動しだしたと思ったら、写真のような川端の崖道になった。一番狭いところで道幅は30cmくらい。自転車を担ぐのさえままならない。路肩には細い鉄杭に細いロープを結んだガードがあるが、引っかかりそうでかえって邪魔。おまけに右側に岩があったり木がはみ出しているので肩に担いだ自転車ごと体を回転させて前に進んだ。そんなところは転落しそうでメッチャ怖かったし、仏坂にかかる前に往生こいてしまった(--;)

道が狭くなり、山の斜面を登っていく(12:37) 川端の崖っぷちである(12:42)
鉄杭とロープ、右に岩、はみ出す木(12:38)



こんなデンジャラスゾーンを過ぎてからも上り下りを繰り返して一度川っぷちに下りた。これで終わりかと思ったらまた登りがあった。

一度川っぷちに下りる(12:53)
また登り(12:54)



そんな迂回路に苦しめられながら、やっと安居の渡し場跡に辿り着いた。迂回路の入り口案内板からちょうど30分。三ヶ川口付近からだと40分くらい。渡し場を経由するのと時間的には遜色ないかもしれないが、仏坂に登る前に往生するのも考えものである。それに極楽往生なら良いけれど地獄へ真っ逆さまではたまったものではない。そうなったら仏坂じゃなく地獄坂だもんね。

安居の渡し場跡(13:06) 仏坂方面(13:07)
安居の渡し場跡方面 安居の渡し場跡(13:08)



安居の渡し場跡から登りだす。はじめは木を渡した階段状になっていた。石混じりの山道を直登する。この直登、けっこう急である。高さにして50m程度登ったあたりから斜面をトラバース気味に登るように変わった。

安居の渡し場跡から登りだす(13:23) 石混じりの山道を直登(13:27)
ここまで直登(13:33)



斜面をトラバース気味に登るように変わるとスイッチバック箇所も出てきた。ドンドン登る。桂松跡が出てきた。案内看板では峠っぽく表現してあるけれど、峠かどうかはハッキリしない。

スイッチバック箇所(13:35) ドンドン登る(13:46)
看板(13:57) 桂松跡の看板(13:58)



案内看板のように道は平行移動した。そして仏坂茶屋跡が現れた。仏坂のトップはこの辺りとみてよかろう。

道は平行移動(14:00)
仏坂茶屋跡(14:02) 仏坂茶屋跡看板(14:03)



そして下りになって、すぐ林道と交差した。合流ではなく交差である。というのも古道は林道を越えて反対側の高みへ登っていくからである。しかしここからの道程もかなり大変である。林道を下ると、周参見の町ではなく日置川河口の安宅へ下りてしまうから私は古道を忠実?にトレースした。

下りになって(14:05) 林道に(14:06)
林道を通り越して反対側の高みに登る(14:07) 反対側から林道を見下ろす(14:15)



反対側の高みというのも基本的に尾根筋である。ここまで来ると海側の展望が開けていて、日置川の河口が見える。しかし良かったのもこの辺りまで。道はさらに登り続ける。尾根筋であることだけが救いであるがやたらと長い。いったいどこまでいったら下りになるんじゃい?

反対側の高みも尾根筋(14:23) 日置川の河口(14:29)
道はさらに登り続ける(14:32) 尾根筋なのが救い(14:45)



そうやって尾根筋をトレースし続けると、やっと下り口が出てきた。実質的な峠はここということになる。地図で調べると330m付近だ。トレース地図で見ても仏坂の茶屋跡が230m。いちど林道横断地点の218mへ下りてからまた100m以上登ったわけだ。しかも距離は安居の渡しから茶屋跡までの倍以上ある。道理で長かった。そしてここからの下りも凄かった。とにかく急傾斜なのである。木々の間を縫いながら劇坂をジグザグに下る。もちろん乗れる場所はない。

やっと下り口(14:52) 木々の間を縫いながら(14:53)
劇坂を下る(14:55)



それでもこんな劇坂が健在なのはここが完全な尾根筋であるからだ。少し傾斜がゆるくなった辺りから周参見の町が見えた。この辺りからところどころ自転車にも乗れるようになった。そんな辺りで不動尊が現れた。仏坂唯一の仏である。そして安居の渡し側にはなかった石畳も散見されるようになった。石畳も格好良いが、自転車は乗れなくなるので良し悪しである(ー_ー)

完全な尾根筋(15:07) 周参見の町が見えた(15:09)
不動尊(15:15)
石畳も(15:17) 散見されるようになった(15:24)



そして、やっとやっと車道との合流点に出た。「やったやったぁ!」。高揚感が凄すぎて看板の内容もろくすっぽ噛みしめてなかったので、書いていて気が付いたけれど、看板によると中世の熊野古道はここではなく、紀勢本線近くの安宅坂を越えていたようだ。そちらの道も尾根筋道のようで、紀伊半島という多雨地帯に道を通すのは大変なことだなあと思った。

車道合流点(15:30)
県道222号線(15:38)

この仏坂というネーミング、一説によると「わらじのひも草木に引っかかってほどけた」ことから「仏坂」になったそうだ。そうだとすると仏坂じゃなく地獄坂なんてギャグも通らなくなる(^^ゞ それと富田坂に行く前に車をデポした紀伊富田駅。そこまで車を回収しに行かなくてはならない。周参見まで下りて駅から電車に乗ろうと思ったらあいにく2時間後しかなかった。待ってる間に携帯からblogに仏坂の様子を書き込めたくらいだった。



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