(飛騨南・北街道)
更新 2006.1.29
地図 ・・ 中山道の太田宿(美濃加茂市)から高山までを結んでいたのが飛騨(南)街道である。
(岐阜県教育委員会「歴史の道 調査報告書」より)
江戸時代以前、飛騨街道(東山道支路(注))の下呂・金山間と萩原・飛騨一之宮間は山間を通っていた(下地図注)。しかし金森長近が飛騨川沿いのルート(宮峠通・河内路、中山七里)を開削した結果、国道41号線と同じルートになった。・ (注)東山道支路
国府設置により飛騨国への官道として飛騨街道の前身・東山道支路が確定した。この地方の最重要な交通路として利用された。そのルートは東山道方県駅の東で分かれ、菅田駅(下呂市金山町)、伴有駅(下呂市萩原町上呂)、石浦駅(高山市石浦)を経て国府に至ったと考えられる。執幣峠の麓にある苗代桜
・ 飛騨川沿いに道ができるまで飛騨街道は金山から下呂まで幾つかの峠を越える道筋であった。
それは左図のように幾つかの断層上にできた峠を越えていくルートであった。特に久野川断層では峠が直線状に並び、峠からの景観でも断層地形であることが容易に読みとれた。
・火打断層
金山−5.火打峠
・久野川断層
4.久野川峠−3.執幣峠−2.竹原峠
・下呂断層
1.初矢峠−下呂久野川断層(岐阜新聞・ひだみの活断層を訪ねてより)