風伝峠(ふうでんとうげ) 257m (1973.8.20)(2003.4.26) 地図 2.5万図

三重県御浜町尾呂志(おろし)−紀和町矢ノ川
三重県御浜と紀和の町境にある熊野古道の峠である。

風伝峠という名は北のヒヨ山と南の大瀬山(おおせやま)の狭い間に位置し、春夏は湿気の多い熊野灘の海風を北山の村々に運び、秋冬は大台山系から冷たい風を紀州の浦々に吹き下ろすという風の通い道となっていて、一年中風のやむことのない峠であったことからつけられたといわれている。風伝とは風顛の当て字で、本来は風のよく通る場所を意味する。

また麓の尾呂志は夏から初冬にかけての朝、山から吹き降ろす冷たい風によって霧が発生する。さぎり(朝霧)の里でもある。尾呂志の名は峠から吹く風伝颪が転じたものという。
風伝峠全景



実はこの峠、大学2年の夏合宿で行ったみたいなのだが、てんで覚えていない(ー_ー)橋の架かっていない瀞八丁を手漕ぎの渡し船で渡河したことの方が記憶に残っている。そんなわけで今回はリベンジすべく「さぎりの里」に空母をデポしてアタックを開始した。

尾呂志の集落から山道に入ると、まもなく石畳が迎えてくれる。さほど急坂というわけではなく、落ち着いたペースで登っていく。



峠近くで旧国道を横切る。現国道311号線はトンネルになっていて、トンネル横から旧国道が峠まで行っているのだ。

峠を横切ってから再度山道へ入った古道は正面に民家を見つつ登る。実はこれが峠の茶屋(風伝茶屋)だった。
         旧国道を横切る地点



風伝茶屋は開いてるのか閉まっているのかわからなかった。こんな所、いつ車(人)が来るかわかりゃしない。それでもモップや暖簾があるところを見ると営業中だったのだろう。私ゃ、ここの紀州犬に吠えられてつむじを曲げてしまったので利用しなかったけれど・・・
奥にある石碑横が熊野古道



峠のモニュメント?は廃になりつつあった。紀和町・御浜町の看板も薄汚れ、昔日の栄華に思いを寄せることも難しい。峠の先から「通り峠」へ行く山道が分岐していた。

通り峠方面



ここもところどころ石畳が残った道だった。

石畳



丸山千枚田へ行く旧道と交差しながら下りていくと、現国道311号線へ出た。
合流点(前方は風伝トンネル)



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