安毛坂(あたげざか)  112m (2007.1.13) 地図

岐阜県美濃市安毛(あたげ)−長瀬
上有知湊跡の住吉灯台と高賀街道 岐阜県美濃市安毛(あたげ)と長瀬の間にある高賀街道(こうかかいどう)の峠である。

卯建(うだつ)の上がる町・美濃市中心部で郡上街道と分岐し、長良川の畔に至ると上有知湊(こうずちみなと)跡がある。

関ヶ原の戦後の慶長6年(1601年)、この地の領主となった金森長近公は小倉山城(おぐらやまじょう)を築き、城下町上有知を作った。その繁栄策としてここに上有知湊を開き、番船40艘を置いて物資交流の要地とした。

川畔に建つ高さ9mの住吉型川港灯台は、全国的にも珍しい建造物で、江戸時代末期に建てられたものと推定され、灯台を含む一体の地が県指定史跡となっている。
上有知湊跡の住吉灯台と高賀街道


上有知湊跡を過ぎ、少し行くと、前野渡舟場跡がある。現在では川岸に降りる土盛りのスロープが残されているに過ぎない。渡船場の30mほど上流には大正5年に美濃橋ができた。現在国の重要文化財に指定されているこの吊り橋は美濃市出身の歌手・野口五郎がブレイクした頃、ファンの間で野口五郎橋と言われて親しまれた(^^;)
前野渡舟場跡と美濃橋、山上に小倉山城がある
美濃橋



美濃橋で前野側に渡り、その少し上流にできた新美濃橋を過ぎ、上流を見ると安毛の集落が見える。長良川と板取川の合流点に立ちはだかる尾根の突端を横断するのが安宅坂である。地図を見ても峠ができたのは蛇行する川筋を通るよりショートカットできるからであろう。郡上街道の峠の多くも同じ理由でできたように思われる。

安毛の集落から山の麓に神社が見える道へと入る。白髭神社である。街道は神社の門前で曲がりながら坂を登る。
安毛の集落 峠入り口
白髭神社前から坂を登る



坂を直登すると永昌院というお寺の門に突き当たる。そこから左を見ると山の鞍部が正面に見える。あそこが峠かな?民家の横を通り抜け墓地の先に向かうと、そこが峠であった。

峠には何もないが、美濃市上水道の安毛配水池が山の上にあるらしく、峠から階段が上に向かっていた。
永昌院を左折すると峠 永昌院
墓地の先に峠
安毛配水池へ行く階段



峠から先は気持ちのいいシングルトラックであった。日陰になった山道から下を見ると麓の工場((有)邦徳金属)が見える。その工場に向かって街道は下る。工場の横まで降りていくと、雪があった。山と工場の陰になって溶けないらしい。その工場を回り込んでいくと麓の道路に着いた。
峠から先は・・・ 気持ちのいいシングルトラック
道の右下前方に工場がある 工場の横に雪
工場を回り込んで麓に着いた



(有)邦徳金属の工場から道を左にとると、すぐに長瀬橋にかかる。橋の上流側に長瀬の渡し跡がある。渡し場は左岸側にしかその遺構が残っていないが、石積みも健在である。

長瀬橋の右岸たもとに地蔵菩薩と石碑があった。ここから街道は板取川の両岸に沿って上流へと続く。
峠近くの標識
地蔵菩薩と石碑

飛瀬坂へ