折橋峠  1435m (1997.4.26、2003.8.30) 地図 

長野県開田村(かいだ)小野原−木曽福島町折橋
折橋峠 木曽福島スキー場(木曽福島町折橋)から開田高原の小野原へと越える峠である。峠の案内板から引用すると

『木曽惣図の古地図によると、末川と黒川を結ぶ里道は古くは大屋から芝原へ通じており、その峠を大屋峠と呼んだ。その後、大屋峠道が急峻なので、小野原から折橋へ通ずるこの道が開発され、ここを折橋峠と呼んだ。この峠道は大屋峠や地蔵峠より勾配がゆるやかな坂道で、むかし小野原や向筋の末川上条の人達が黒川や福島に出るのに好んで歩いた峠道であった。』

97年の4月にランドナーオフの下見で行ったとき、峠もしくは旧トンネルが抜けられないか調査してみた。林道状の道が旧折橋トンネルまで通じていたが、トンネルには蓋がしてあり、旧峠への道も発見できなかった。
折橋峠


最近5万図を何げに見ていたら、そのトンネル横に点線道を発見した。そこでリベンジがてら探索に行ってみた。

スタートは前と同じ開田高原の小野原からである。集落の外れに「折橋峠」の案内板もある。

この前と同じように林道を走っていく。違うのは今回の方が天気が良いことくらいか?御岳や小野原の集落がときおり見える。末川林道との交差点も過ぎ、ドンドン登る。
 


そろそろ旧トンネルかと思う頃、左手に峠への入り口があっさり現れた。「開田村指定文化財(民俗文化財) 折橋峠と四岳神社 0.4km」なる看板がある。立派なものだ。何で6年前は気が付かなかったのだろう。
峠への入り口 


峠の山道ヘ入る。谷道からいきなりの直登で、足元はふかふかの腐葉土。しかも結構な急坂なので、担ぎ全開モードである。
どこが勾配がゆるやかな坂道なの?
峠の案内板からは想像もできない劇坂である。
のっけから急登 


しかし道はすぐに崖のつづら折りに変わった。つづら折りの折り返しを何本かこなして崖の上に出ると、そこは小さな尾根のようだった。道はここから尾根上をジクザグに登っていく。

相変わらず道は腐葉土でふかふかだが、周りよりも凹んでいて、よく使われていたことがわかる。

峠道は最後に尾根から崖をトラバースしながら峠へ向かう。北東方向から峠へ上がり、峠で90度向きを変えて南東方向へ下っている。
尾根道


折橋峠(左側から奥へ稜線を辿ると四岳神社の小祠がある。) 峠の樅の大木の根本には冒頭の案内板と嘉永7年(1854年)に小野原太良吉が建てたお地蔵さんがある。

そして峠から稜線を20mほど歩くと四岳神社の小祠があるそうだ。
折橋峠


そこで四岳神社へ行ってみた。峠の案内板によると
『祠の右側にある立派な燈籠があり、燈籠の東側に「駒嶽山」、西側に「乗鞍山」、南側に「御嶽山」、北側に「白山」と刻まれ、末川村と黒川村の「講中安全」とも刻まれ、御岳、乗鞍、駒ヶ嶽、白山を祭る四岳神社は山岳信仰を具現したものとして注目される。 昭和56年 開田村教育委員会
と書いてあった。

しかし行ってみて驚いた。祠は壊れて傾き、燈籠も形がわからないほど破損している。数年前、折橋にある木曽福島スキー場に行ったとき、強風と寒さに参った覚えがある。このままではこの祠と燈籠も近い将来、倒壊の憂き目は免れないだろう。案内板を建てた開田村教育委員会よ、自分たちで文化財と唱うならこの現状を何とかしろよな。
四岳神社


峠まで戻り、折橋側を覗いてみた。

峠から南東方向へ下りれば折橋の集落へ下りられるはずだが、それまでと違い、折橋側は草の繁茂が著しく、その気になれない。旧トンネルが通れたら無理にでも下りただろうが、長大な新地蔵トンネルだけは走りたくなかったので折橋側へ下りるのはやめた。
折橋側

来た道を楽しみながら下りた。

登り口の車道まで下りて、さらにその下を伺った。その辺りから峠道はなだらかな谷道になっているようだ。それでも小野原側の道の流れは、おおむね峠から尾根道を辿る造りであった。

折橋側の探索をしていないので決めつけはできないが、どうやら小野原側が峠の裏に当たるようだ。
車道の下方

車道から下の旧道探索をあきらめて折橋トンネルまで行ってみた。

あいかわらず厳重に封印されたトンネルがあった。そしてトンネルの前を通り過ぎた車道はそこからダートになっていた。私が6年前に騙されたのはこのダートを見たからだろう。
折橋トンネル