出雲の旅7 詳細地図 広域地図 (2003.5.17〜24) 更新 2003.5.29
コース
- 境港−島根半島−大山−亀嵩−二本松峠−帝釈峡−赤名峠−たたら製鉄−月山富田城
月山富田城
月山富田城(がっさん、とだじょう)といえば、山陰の雄、尼子氏の本城である。その規模と難攻不落さは戦国時代屈指の要害といわれた。大河ドラマ「毛利元就」でも大内義隆が攻め、毛利元就も攻めたが力攻めでは落とすことが出来ず、元就も結局は兵糧攻めの末に尼子氏が降伏したほどの城であった。
今回出雲を旅するまで私は月山富田城の場所を正確には知らなかった。尼子の力のひとつが石見銀山とか書かれているので島根県でも西の方かなあ?と思っていたくらいである。場所は広瀬町。広域地図を見ていただくとわかるとおり中海の安来市から山中へ入った所である。
峠コレクションはしたいけれど、ここまで来たからには尼子の居城も見てみたい。ルートを検討してみると、広瀬町はあの亀嵩から国道432号線を北上していった所にあった。
・ 広瀬町へはこうして、亀嵩から国道432号線経由で入った。しかし一般的には安来市から県道45号線で入るのが簡単だろう。
というのも松江市から直接アクセスできる国道432号線は広瀬町との間が山越えの1車線・酷道区間になっているからだ。山越えと記したのは酷道のくせに峠の名前もついていないからだ(T_T)
こんなことで月山富田城に行ったのは最終章(24日)になった。月山富田城前の河川公園
広瀬町へ入ると、「道の駅 広瀬富田城」の看板が目に入る。それを目当てに行けば良い。目指す富田城は広瀬の町から飯梨川を渡った所にあった。富田城のある海抜189mの月山が目前に聳え、周囲に断崖絶壁が多い複郭式の山城である。
山の麓には富田城跡のプレートと城郭模型が設置してあった。今も月山に登れば城跡の石積みなどが残っているという。・ 富田城跡のプレートと城郭模型
・ 模型のお隣に資料館があったので入った。尼子氏の著名な武将、山中鹿介の解説がある。巷間知れ渡っているのは尼子滅亡後、その復興のために苦闘する山中鹿介が三日月に向かって祈る言葉「我に七難八苦を与えたまえ」が有名である。彼の苦難は史実であるが、この言葉は後世の創作らしい。日本人の判官びいき、滅びの美学が産み出した産物なのだろうなあ(^^;)
写真は国道432号線、久比須峠にあったプレート。ちなみに富田城跡には彼の銅像もある。山中鹿介
この富田城跡、探索しだすと、山の上まで登らなければならない。登ってもいいけれど、石垣にはいまいち興味がないので登らないことにした。その理由の中には廃城になったこともある。
毛利元就の兵糧攻めに降伏した後の富田城の運命は、毛利氏の統治下、天野隆重・毛利元秋・元康・吉川元春・広家が城主となったが、関ヶ原で西軍に組みした毛利氏は防長2国へと国替えとなり、替わりに、関ヶ原で戦功のあった堀尾吉晴・忠氏父子が入城した。
堀尾氏は、富田城では領国や城下町を発展させるには狭すぎるとし、慶長16年に松江城を築いて移り、富田城は廃城となった。しかし江戸時代に飯梨川対岸の地に松江藩の分家として松平近栄が広瀬陣屋を構えて明治にまで至っている。こうして出雲、いや山陰での月山富田城の栄光は尼子とともに滅び去ったのである。
−完−