東岳峠(とうがくとうげ) 280m (2010.10.27) 地図
岩手県一関市峠と平泉町東岳の間にある県道206号・相川平泉線の峠である。 一関市中島地内で県道261号線から206号線へ入る。 |
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一関市中島地内で206号線へ入る |
県道206号線に入ると道は大きく左へ曲がる。下の写真にある山に沿って行くのだが、山の斜面を利用して神社があった。菅原神社である。看板によると
『菅原神社
鎮座地 一関市舞川字原沢
祭神 菅原道真公
御神体 木造雷神菅公立像
由緒
嘉応2年(1170)奥羽の太守 鎮守府将軍 藤原秀栄衡公深く敬紳せられ、京都北野天満宮より相川の袖野に勧請した。
文治5年(1189)平泉没落後、相川の氏神となる。勧請後387年を経た弘治元年(1555年)相川木戸に御遷座された。
寛永2年(1625年)現在の原沢吉ヶ森にふたたび遷座されました。
明治4年(1871年)天満宮から菅原神社に改名相川村村社となる。
このとき大日霊女神、雷大神、大山祗神、若木神、八坂神社、八幡大神、厳島大神、大滝神社、加具知突大神、ほかに南地蔵堂から2神を境内末社として合祀した。
明治22年(1889年)相川と舞草の2村合併により舞川村が誕生し、菅原神社は村社となる。』
という古い神社らしい。
県道は大きく左へ曲がる | 菅原神社 |
そのまま県道を登っていく。ふと県道の標識を見ると「一関市峠」とある。そして次に現れたバス停も「峠」だった。この辺りの集落は峠という名前なのである。
一関市峠の標識 | バス停も「峠」 |
そして実際の峠に到着。一関市と平泉町との境界になっている。峠には古い字で「処刑場」と彫られた慰霊碑が建てられていた。どういう処刑場だったかはわからない。
峠(一関市側より) | 峠(平泉町側より) |
処刑場慰霊碑 |
平泉町側へ下る。中腹からは平泉の町と雪山が見えた。カシバードで調べてみると雪山は左が栗駒山で右は焼石岳のようである。
平泉の町と雪山 | |
峠から下る | 麓付近 |
雪の・・・ | 焼石岳? |