田原坂(たばるざか 103m (2011.5.22)  地図

熊本県熊本市植木町豊岡
熊本県熊本市植木町豊岡にある峠である。田原坂は西南戦争最大の激戦地である。

西郷隆盛が率いる薩摩軍と明治政府軍の戦いで最後の国内戦だった。その田原坂は熊本の西北にあり、熊本へ北から入る要だったため双方の死傷者は一万人にもなった。
田原坂の看板



実際に行ってみると、田原坂は地図のように現在の車道・国道208号線と県道31号線は峠というより谷沿いを進んでいる。JR鹿児島本線も県道に沿った谷間を通っている。そして田原坂はこの2つの谷の間にある丘陵地帯にある。その謎は上の田原坂の看板にあるように、官軍の大砲を運べる道が当時は田原坂だけだったためらしい。

国道208号線から県道31号線に入る。

国道208号線から県道31号線に入る


つぎに県道31号線から田原坂の峠道に入る。やや狭い1車線道である。曲がりくねりながら登っていく。看板にあった一の坂にさしかかる。

田原坂の峠道に入る
やや狭い1車線 一の坂



江戸末期から明治にかけてこれだけの道幅があったかは不明だが、道の横は掘り下げたように高くなっている。そして二の坂にさしかかる。ほどなく谷村計介の碑があった。この辺りから田原坂とならんで激戦地となった吉次峠のある山が見えた。

道の横は掘り下げたように高い 二の坂
谷村計介の碑
吉次峠がある山 吉次峠への道標



そしてその先に三の坂の看板がある。峠ももう少しである。

三の坂の看板 峠付近より
峠手前 田原坂の碑



てっぺんの公園に田原坂祟烈碑(すうれつひ)という石碑があった。当時の社会情勢やここの戦略的意味、どんなに過激な戦闘だったかなどを官軍の立場から書いてある。また一の坂、二の坂、三の坂などが当時の写真付きで掲示してあった。またこの公園には馬上の美少年像がある。冒頭の看板にある歌の2番「馬上ゆたかな 美少年」を表したものである。モデルはこの美少年こそ、薩軍の勇将・村田新八の長男の初陣の勇姿を謡ったものと云われている。

田原坂祟烈碑 一の坂、二の坂、三の坂などの当時の写真
馬上の美少年像(田原坂)
馬上の美少年像(田原坂)



この公園にはほかにも西南の役戦没者慰霊の碑があって官軍・薩軍合わせて1万4千余名を祀っている。そして田原坂資料館もあって、空中かちあい弾(お互いが撃ち合った鉄砲玉が空中で衝突したもの)なんて、あり得ないようなものが展示されていた。

そして官軍側が勝利した理由のひとつについて、ここでもらったパンフレットには「一に雨、二に大砲、三に赤帽」と薩軍の兵士がこぼしたそうだ。赤帽とは白兵戦に強かった近衛兵、大砲は炸裂弾の大砲。そして最も恐れたのが雨。薩摩兵が着ていた木綿の着物は雨が降ると水を吸って動きが取れず、わらじは雨と泥でブチブチと切れた。対して官軍は水に強いラシャの軍服、革の軍靴だった。何だか自転車の服装にも当てはまるような話だなあと感心してしまった。しかし冒頭の歌の1番「雨は降る降る じんばは濡れる 越すに越されぬ田原坂」は官軍側の歌だったそうなのでお間違いのないように(^^;)

田原坂資料館に隣接して「弾痕の家」がある。その前に博愛社「日赤」の創立という看板である。面白いのは西郷隆盛の弟、従道が従軍していることである。兄弟でも敵味方になることは源平・関ヶ原の時代から鳩山兄弟に至るまでありなので仕方がないことだろう。

西南の役戦没者慰霊の碑 田原坂資料館
博愛社「日赤」の創立 弾痕の家



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