杉ヶ越 850m (2011.5.25)  地図 2.5万図

宮崎県日之影町見立(みたて)ー大分県佐伯市宇目(うめ)木浦内(きうらうち)
宮崎県日之影町見立大分県佐伯市宇目木浦内の間にある県道6号・日之影宇目線の峠である。

日之影町の日之影温泉駅からすぐの所から県道6号線に入る。
県道6号線に入る(橋の向こうを右折)



県道に入るとすぐに高いアーチ橋が見えてくる。国道218号線の青雲橋である。東洋一のアーチ橋らしい。

県道6号線分岐点
青雲橋



県道6号線が登っていく谷は五ヶ瀬川の支流・日之影川である。谷は険しいながらも長い。落石注意の電光掲示板が早々と出てきた。道の上を送水管が斜めに横切っている。日之影発電所である。日之影川から取水された水(七折用水)が棚田を潤した後、発電に使われているそうで落差209m、2300kw。日之影町の需要電力量の2倍の発電量なのだそうだ。

五ヶ瀬川の支流・日之影川を遡る
日之影発電所



行く手に印象的な山容が見えてきた。戸川岳である。その後に出てきた県道の標識は日之影町田下だった。田の下なんて棚田があるからだろうなあ。そしてまた印象的な橋と鳥居が現れた。橋は「男渕橋」鳥居には「男渕水神社」看板には「石垣村トロッコ道ウォーキングコース」と書いてあった。対岸にはトロッコ道と思しき道が崖っぷちに作られていた。

戸川岳 県道の標識は日之影町田下
男渕水神社と男渕橋 トロッコ道?



県道を進むと男渕橋の看板に書いてあった石垣の村・戸川に着いた。石垣茶屋の看板にもあるように棚田百選に選ばれているようで、そのために岩垣が多いようだ。その先にある水車小屋が戸川岳への登山口になっており、看板には石垣の村の沿革などが書かれていた

石垣の村・戸川、石垣茶屋 石垣
石垣 石垣の水車小屋
石垣の村の沿革



戸川からさらに遡る。対岸には相変わらずトロッコ道がある。吊り橋などもあって谷間の山村風景である。林業か廃棄物処理業者かわからない作業所の前でイノシシを飼っていた。20頭はいるみたいで壮観だった。「そうそうそう…。ブーブーブー…私人間ですねん」は吉本新喜劇の藍ちゃんのギャグだが、ここは「ブヒブヒブヒ」ですな(^^;)

対岸にはトロッコ道 吊り橋
イノシシを飼っていた



さらに県道を進む。天の古道(あまのこどう)なる看板が現れた。登っていく道の脇には「西南戦争 西郷隆盛が越えた湾洞峠(わんず)入口」と書いてある。とってもそそられるけれど、地図はないし山道だろうから遠慮した(--;) 宮崎日々新聞によると

分村から半世紀余り、二つの地域が再び1本の道で結ばれた―。
日之影町見立と高千穂町岩戸。両地区の住民たちは、かつて生活道だった峠道を整備し、天岩戸神社に続く参道「天(あま)の古道(こどう)」(全長10・5キロ)として復元させた。両地区は同じ岩戸村だったが、1956(昭和31)年に岩戸は高千穂町、見立は日之影町に合併され、両町を挟む尾根づたいに分村された。地区民らによると、当時あった峠道は5本ほど。役所が岩戸にあったため、見立の住民は各種届け出や納税に使い、戦時中は配給品も取りに行っていた。また、見立には天岩戸神社の氏子も多く、参拝のため峠道を歩いたという。しかし、分村後は使われなくなり、交流も途絶えた。過疎化に悩む見立の住民がこうした歴史に着目。観光客を呼び込み、活性化に生かそうと2009年年10月下旬、世界遺産の熊野古道(紀伊地方)をもじって「天の古道」と名付け、実行委員会を立ち上げた。活動はやがて岩戸側にも広がった。

なのだそうだ。

天の古道(あまのこどう) 西南戦争 西郷隆盛が越えた湾洞峠(わんず)入口の道標



さらに進むと飯干温泉が現れた。川の対岸にあるらしい。見立渓谷・英国館の看板が出てきた。またとんでもない岩の崖があった。

飯干の看板 飯干温泉
見立渓谷・英国館の看板



次に煤市吐(すすいちはき)というところに達した。難読地名だ。そして対岸に渡る吊り橋やトロッコ道らしき橋などが出てきた。しかし神太郎水神社に書いてあったことは凄い。ここの氏子は日清・日露・大東亜戦争を通じてひとりの戦没者も出さなかったそうである。額面通りには信じられない話であるが本当だろうか?

煤市吐 吊り橋
トロッコ道らしき橋 神太郎水神社



そしてさいごの集落・見立の簡易郵便局が出てきた。見立渓谷や英国館の看板もまた出てきた。英国館というから西洋風の建物を予想していた。ところが実際は山小屋風の建物だった。ここには見立鉱山という錫(スズ)鉱山があって、大正末期から第二次世界大戦の直前まで、ハンス・ハンターというイギリス人が経営を行っていたため、イギリス人技師の宿舎やゲストハウスとして建てられたのが「英国館」なのだそうだ。

見立の集落 見立簡易郵便局
見立渓谷や英国館の看板 英国館



英国館を過ぎると谷は狭くなり、道も手堀りのようなトンネルを潜っていく。小さな祠のところから対岸に渡り、少し行ってから峠道らしい急な登りになった。

手堀りのようなトンネル



急な登りといっても2度ヘアピンカーブがあるだけである。後は峠まで真っ直ぐ。いかに谷間の遡行が長かったかである。

急な登り 第2ヘアピンカーブ
第2ヘアピンカーブ



峠は杉ヶ越トンネルになっていて、ここが県境である。トンネルの脇が傾山(かたむきやま)登山口になっている。

杉ヶ越
杉ヶ越(宮崎県日之影町側から)
杉ヶ越(宮崎県日之影町側) 杉ヶ越トンネルの扁額
傾山登山口



杉ヶ越トンネルを潜る。大分県佐伯市側には何もないが県境の看板と佐伯市そして宇目の看板がある。この看板何で子守りの絵なのかわからなかった。ひょっとすると宇目(うめ)と産めをかけた駄洒落だろうか?

杉ヶ越トンネル(大分県佐伯市側) 大分県佐伯市の看板
宇目の看板



大分県側に下りる。路肩が軟弱なところもあった。

大分県側に下りる
佐伯市宇目木浦内(きうらうち)



さらに下りていくと木浦内隧道が現れた。鉄道のトンネルのように縦長というか幅狭なトンネルである。

木浦内隧道(きうらうち)



木浦内隧道を潜り、ドンドン下る。上落水に宇目茶の工場があった。

上落水
宇目茶の工場



そして木浦の集落の中に名水館があった。上落水といい、水に関係する土地なのだろうか?

木浦名水館



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