佐敷太郎峠(さしきたろうとうげ) 160m (2012.5.23) 地図 2.5万図

熊本県芦北町佐敷−芦北町海浦

熊本県芦北町道佐敷と海浦の間にある国道3号線の旧道峠である。津奈木太郎峠・赤松太郎峠とともに三太郎峠とよばれ、薩摩街道時代からの難所の1つである。

薩摩街道時代の峠は2.5万図でもわかるように国道の旧道トンネルとは全く違った場所にあるが、山道らしいので津奈木太郎峠と同様トンネルの峠を目指すことにした。旧佐敷の町から旧道へ入る。
旧佐敷の町から旧道へ入る



橋のたもとの分岐点には薩摩街道の道標があった。薩摩はともかく江戸ってのが凄い。旧道は1車線の舗装路である。

橋のたもとの分岐にあった道標 旧道は1車線の舗装路



旧道に入ってすぐ。木造瓦葺きオープンスペースの祠があった。中には2体の石仏が祀ってあった。片方は街道ファンには馴染みの深い馬頭観音さん。しかしもう1体が「鯖大」・・・なにこれ?横には「阿波國八坂八宮」と彫ってあるだけで何のことかサッパリわからない。

ネット検索をかけると「鯖大師」でヒット!師が目に入らんかった。鯖大師は弘法大師の別名のことで、「八坂八宮」ではなく「八坂八浜(濱)」とのこと。故事にはちゃんと馬も出てくるので馬頭観音とセットでお祭りするのがお約束のようだ(^^;)

鯖大師像と馬頭観音


ふりむけばヨコハマ。ではなく、佐敷の町が見える。河口近くの佐敷川とかナカナカにきれいである。

ふりむけば佐敷の町とか佐敷川が見える



砂利採取場などを通り過ぎながら登る。明治の道なのでそんなに急坂ではない。そして峠(隧道)手前にある謎の建物前まで来た。

その建物前は三差路になっていて、その脇に徳富蘆花の「死の陰に」の標柱があった。『馬車は長い佐敷太郎の坂を上り切った。上り切ると長い長い隧道がある。隧道の闇に・・・』下草に隠れてよく読めなかった。要約すると、徳富蘆花が夫人の愛子とともに大正2年に旅をした時の紀行文「死の陰」にのなかで、佐敷太郎峠や佐敷隧道のことを書き、この場所からの眺望の素晴らしさを「一幅の油絵」と表現したと書いてある。

砂利採取場
峠手前の謎の建物 三差路脇に「死の陰に」の標柱



後先になったが、峠(隧道)手前の謎の建物である。蘆花の標柱地点から見るとこんな感じ。なにやら発電所のような機械が並んでいる。そして峠のトンネルが続く。トンネルは津奈木太郎峠のように煉瓦造りのトンネルである。津奈木太郎隧道と同じように登録有形文化財になっていた。

ところで謎の建物は直下を通る現国道・佐敷トンネルの排気施設らしい。

峠(隧道)手前の謎の建物 謎の機械と隧道
佐敷太郎隧道
佐敷太郎隧道
登録有形文化財のプレート



いよいよ隧道に突入する。内部も煉瓦造りである。しかし照明がないので真っ暗。出口を見ながら進むが油断すると横の壁面に接触しかかる。こういうロケーションを怖がりの皆さんが霊が出るとか心霊スポットだとか宣うのでしょう(--;)

佐敷隧道の反対側も煉瓦造りでやはり登録有形文化財のプレートがあった。

隧道内と佐敷側出口
海浦側出口 海浦側の隧道入り口



隧道から下る。海が見える地点が出てくる。たしかに「一幅の油絵」と表現してもいい景色である。それもそのはず、ここは芦北海岸県立自然公園になっている。下っていく途中で首がなくなったような石仏があった。こういうものがそのまま放置してある方が心霊スポット云々より恐ろしい気がする。

砂利採取場
芦北海岸県立自然公園、海浦町の標識 路傍に不気味な石仏



さらに下るときれいな道を潜る地点があった。トンネル出口に出ようと思えば出られるのだが、旧道をそのまま進む。そして最後に国道3号線と合流。明治の峠の探索が終了した。

砂利採取場



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