ルートN池田まで  98.10.15更新 (NIFTY 掲載 サイクルスポーツ98年10月号に載ってしまった)    


 1998年5月31日朝5時。湖北の町木之本は1日の始まりを迎えていた。長距離だろうと周回コースだろうと旅の始まりは駅がいい。木之本駅はまだ眠りから覚めてないらしく入り口には鍵がかかっていた。駅前のレトロな風合いの時計台を撮影して木之本の出発証明にしようかと一瞬考えたがアングル的に無理があるので折良く出勤してきた駅員さんにコンビニの在処を尋ねた。

 ルートNは正式には、”ブルベ・ジャポン・ルートN”といい、長距離ファーストランツーリングのイベントのことであり、アメリカでは”センチュリーラン”ヨーロッパでは”ブルベ”として実施されている大会の日本版である。
 ルートNはタイムトライアルであるため第3者的な時間証明の代わりにレシートを集めねばならないという足枷がある。後からルールを読み直してみると第3者の署名だけでも通過証明は良いようにも感ずるが今回私はレシートとそこにいた人の署名というダブルチェックを実行した。また今シーズンからはバッジ200をクリアせねばバッジ350には挑戦できなくなったため今回の記録は200km以上を12時間半で走ることが課題なのであった。

 琵琶湖北北東の町木之本から敦賀、小浜を経由して大阪の池田市まで辿るのはコースD。本来なら私が住む岐阜市から池田までの326kmなので200kmを目標にコースの途中まで走るのなら自宅から走り出せる方がいいに決まっている。しかし岐阜から根尾・徳山・揖斐・木之本間というのは崖崩れなどで通行止めの常習地帯なのだ。おまけに徳山ダムも本体工事をやりかけたとかそれらがもろにコース上にあるのだ。揖斐土木事務所に確認してみると案の定、殆どが現在通行止めになっているとのことでやむなく木之本から池田まで走ることにした。
 走り手は当年取って44才の中年肥満おやじである。173cmに85kgではアスリートとかレーサーという言葉とはおよそかけ離れている。今やサイクリストというのさえ憚られる体型なのではないか?学生のときはクラブで長期ツーリングなどで鍛えていたが就職してからは細々と自転車に乗っていただけ。本格的に復活してまだ2シーズン目というお寒い現状でルートNなどよくやるよと自他ともに思うような中、唯一の助けはこの3月に出来上がったカーボンロードなのであった。ロードで何をやるか?諸般の情勢から今シーズンは距離を伸ばすことを目標にした。私の体型から考えたキャッチフレーズは?そう!長距離爆撃機(^^ゞ
 そんなわけで初っ端のコンビニでは5時32分のレシートとレジの妙齢のお姐さんの署名をゲットし池田までの1日がスタートした。最初は国道8号線を敦賀まで。日は出てるものの朝まだ早いので日陰は寒いくらいである。長丁場だし体力を温存して無理せずいこうとウィンドブレーカーとタイツを履いて走る。走り出してすぐに賤ヶ岳トンネルがぽっかりと口を開けている。通行量の多い一般国道のトンネルは今までは恐怖の対象であった。しかし今回は先週のミニベロオフで仕入れてきたマグネット式の点滅テールランプを付けたので少しは安心できる。トンネルの中は外の空気が嘘のように生暖かかった。
湖西線の高いガードが頭上を横切ると最初の登り、深坂である。ゆっくりしたペースで登るうち6時28分には峠に到着。一息入れて敦賀に下り始める。下りは長距離ランの定番(私はそう思っている)クラウチング走行で省エネを計る。まもなく第1チェックポイント敦賀である。

街中まで入っていけばコンビニも簡単に見つかっただろうがここから三方五湖へは27号線に変わる。いや正確には旧国道?の県道225号線で関峠を越える道がルート指定してある。とにかくここまでのところコンビニが見つからない。関峠を越えてしまうと敦賀ではなくなるし悩んだ末にガラスの割れた時計台(7時ジャスト)を発見。道の反対側には福井銀行の店舗がある。ということで敦賀のアリバイは写真に決定。ジュースを飲みながら人待ちをしているおっちゃんがいたので署名ももらっておいた。
 しかし運命なんてこんなもんだろう。再スタートして5分もたたないうちにコンビニが出現する。もうどうでもよかったけど行動食確保と領収書で保険をかけとこうと立ち寄ることにした。
 関峠は標高100mなのであっという間に到着。峠の手前から併走している小浜線が切り通しになっている。しかしこの風景はどっかで見たことあるぞ。そう丹後半島の網野にある宮津線の峠付近にそっくりだ。あそこは確か東経135度地点だったなあ。松本清張の「Dの複合」の舞台にもなったし。おっと「D」といえばこのコースもDコースだったね(^^;)

次は三方五湖の写真ポイントである。ここでは写真を撮るのがお約束。写真ポイントは地図で見ると三方湖と水月湖の繋がっている狭隘部と思われる。

湖畔をひた走っていくと、狭隘部が見えてきて広場になっている。おまけに三方湖・水月湖の表示板が狭隘部と半島を背にして立っている。さて撮影とセルフタイマーの準備をしかけているとワゴンに乗った初老のご夫婦が近づいて来たので撮影をお願いした。















    サイスポに載った写真
 ここから短い割に激坂な世久見トンネルを越えるといよいよ海岸線だ。リアス式海岸の宿命で景色はいいがやたらアップダウンが激しい。それでも程々の道幅と通行量の少なさで何とかこなしていく。いいかげんあきてきた頃小浜の街に到着する。コンビニくらいいくらでもあるわと油断しているうちに小浜駅へ着いてしまった。

駅なら当然時計も架かっている。10時27分である。領収書集めをするのが邪魔くさいので写真撮影をしてアリバイにする。出入り口に6名ほど高校生がたむろしている。これ幸いと声をかける。訳を話して署名を頼むと「おー!すげえ」と体育系の彼らは喜んで応じてくれた。一人で良いのに隣から「俺もいい?」とあと2人が署名に加わり、ついでに「若狭ラクピー」なるクラブ名まで書いてくれた(^^)v
 小浜を出ると南川に沿って名田庄村へ向かう。名田庄村といえば我々の年代では「高石ともや&ナターシャセブン」が思い浮かぶ。そういえば往年のフォーク歌手高石ともやもマラソンをやるアスリート?だったなあ。しかし小浜を過ぎた時点で積算距離90km。時刻は11時近い。行程の半分も来てないのにそろそろ尻が痛くなってきた。ううむ!こんなことで先は大丈夫なのか?西谷あたりのバス停でワセリン代わりにオロナイン軟膏をすり込むと少しはましになった。
 小浜からは標高差440mとコース中最大の難所と思われた堀越峠が控えている。本格的な登りに入るまでのアプローチがバカ長かったので「流星館」という道の駅のような施設で大休止をとった。しかし登りは思ったほどのことはなく12時50分にはトンネルに到着した。登りの途中には北斗七星を描いた名田庄村の看板が建っていた。「ナターシャセブン」をもじったと思うのは私だけだろうか(^^;)
 さて、本日のメインイベントもすんだ後はダウンヒルを楽しめるはずであった。少なくとも近々ロードレース大会の行われる美山町までは確かに快適である。しかし国道162号線から別れて府道12号線由良川のダム湖沿いになるとそれまでの疲れがどっと出てきた。積算距離にして140km付近である。脚の疲れではなく眠いのだ。さして暑いとも思えない。いや、むしろ涼しいくらいなのに何てことだ。やはり良く寝てないからに違いない。そういえば本当は翌週決行する予定だったのだ。長期のお天気情報で翌週末の天気が芳しくなく計画の前倒しを決めた。それだけに前夜は睡眠が不足してしまったわけだ。走っていてもフラフラしてくるし、こういうときは休むに限る。国道27号線に入る手前にある交差点には何故か椅子が4脚置いてあった。これ幸いと自転車を立てかけて座り込んだ。田園地帯の日なたにも関わらずそよ風が気持ちよく、軽く目を閉じて束の間座っていただけだけであるが以外と疲れがとれるものである。
 27号線に出るとうってかわって車が多い。やはり2桁国道は違う。いっぺんに眠気も醒めてしまった。山陰本線の鉄橋下をくぐってしばらく行くと9号線に出会う。いやあ1桁国道は違う。車が多いのを通り越して渋滞してるわ。そしてそのまま間近になった次のチェックポイント丹波町須知になだれ込んだ。ところがコンビニが見つからない。小さな町なのですぐ町外れになってしまう。

仕方ないので旧道から昔の街並みへお店を探しに入って行ったが時刻を記したレシートを貰えそうな店は見つからない。うろうろしたあげく須知公民館の玄関に時計があるのを発見。時刻は15時2分。何とかアリバイ撮影をした。そして目の前の手芸店にサインをして貰いに行く。訳を話すと何とお店のゴム印を押して頂けた。山内手芸店さん、地名入りゴム印をありがとうございました。
 須知を出てからは9号線ではなく少し南の道を通る。しかしここでコースミスを犯す。観音峠の登り始めあたりまで行ってどうもおかしいと気づいた。そのまま行っても車は多すぎるし園部へ降りてからまた戻らなければならない。早く戻ったほうが傷も浅いだろうと須知近くまで戻って軌道修正。中山峠という正規ルートはなるほど自転車向きの鄙びた道である。ここにはコース設定者の濃ゆい意思を感じとることができて無理して戻って良かったと思っている。
 しかし思わぬアルバイトのおかげで時刻は15時45分になってしまった。12時間半の持ち時間のうち10時間以上が経過してしまったのだ。サイクルメーターを見ると164.5km。まだ50km以上も残っている。峠をひとつ残した状態ではたして平均時速25km以上で走れるのか?しかしここまで来た以上リタイアするのも馬鹿らしい。ええい、行けるところまでいってやろう。何とかなるさと腹をくくってダウンヒルを開始する。下りきってからも湯の花温泉近くまでは下り基調。これ幸いとペダリングにも力が入る。14時頃の眠気はどこへ行ってしまったのか?やはり人間あと少しとなると火事場の馬鹿力が出るのか?それとも自分が気分に左右されやすい性格なのか?

何はともあれ、すこぶる調子が良い。そしてよく見ると先ほどからサイクルメーターの距離表示が全く更新されていかない。いつまでたっても164.5km。スピード表示は出るくせに何て奴だ。メーターにも見放されては立つ瀬がないではないか。しかしそのおかげでロングスパートが出来ているというのもおかしな話だ。
 亀岡方面と分岐を過ぎて川西池田方面へ向かい、ひとつのピークを過ぎる。最後の峠にしてはちょっと早いかなと思った通り結構な登り返しがある。とにかく走るしかない。時間との勝負で先を急ぐうちに能勢の妙見さんやら何だか訳の分からないピークを3つ4つ越えただろうか。ようやく池田市の標識が見えてきた。時刻は17時15分頃。もう少しだ。日曜日の夕方渋滞の真っ最中を突っ切る。川西市方面へ阪急宝塚線の鉄橋下をくぐり、初めて出会ったコンビニで少し早いがゴールの署名と領収書をゲットした。17時35分。一応池田市を越えて川西市へ入っている。ギリギリ12時間オーバーに納まったぜい。この先駅までの道で迷ったら泣くにも泣けないものなあ(--;)
 このコンビニで駅までの道筋を念入りに聞き、最終JR川西池田駅に到着したのは17時55分である。うん、完璧に規定時間内に納まって満足じゃ。丹波町からはメーターが故障したので正確な距離はわからないがそれまでのものと合計した積算距離は218.6km。積算タイム12:03で何とか規定内に走り切れた。
 走り終わって新幹線で帰る車内では先人の真似をして一人だけで反省会を行った。走っている最中は体調チェックをする事が多くコースを楽しむ余裕は少なかった。そしてそれを助長したのがチェックポイントのコンビニ探しとサイン採り。あの時間とミスコースがなかったら1時間以上短縮できたかもしれないとか、それなら次回は前もって車で下見してコンビニの在処を下調べしようとか、いや「めくら蛇におじず」状態だったから最後の山坂が頑張れたのじゃないかとか色々な感慨が疲れた頭に去来して、気怠い酔いが回っていくのに大して時間はかからなかった。
積算距離 218.6km 積算タイム 12:03 AV 18.1km 積算標高差 1580m(高度計積算表示)

   


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