ポタリング危機廃村八丁 (1974.5.12) 2002.8.17更新


        廃村八丁のシンボル、白壁の土蔵 廃村八丁のシンボル、白壁の土蔵 今は崩れてしまったそうです。


プロローグ

ポタリング危機一髪とは私が学生の頃クラブ行事として行った
次に述べる峠8連発を含む過激な企画に対してついたネーミングである。
この名前が当時流行していたブルース・りーの「ドラゴン危機一髪」のパクリであることはいうまでもない。


本編  

クラブ員銘々の発案で個別に走ろうというパートラン行事に対して我々同期3人(古家、近田、私)は廃村八丁をやろうということになった。コースは広河原−ダンノ峠−四郎五郎峠−廃村八丁−ソトバ峠と決めた。
しかしこのコースは8つの峠越え(原峠・花背峠・ダンノ峠・四郎五郎峠・ソトバ峠・栗尾峠・笹峠・御経坂峠)を含むデンジャラスな計画であった。


いつものように花背峠を越えた我々は食料を調達しつつ広河原まで到達した。さあ、ここからが押し担ぎの始まりだ。

参考資料は山と高原地図「京都北山2」昭文社。さすがに詳しい。解説を参考に真ん中の尾根に取り付く。30分ほどで峠に到達。古木にダンノ峠の標注がくくりつけてあった。
 ダンノ峠(写真は私と古屋氏)
                                     
ダンノ峠から下りだして一度笹・雑木の平坦地に至る。滝など渓流の美しい地点で昼食。ブルース・リーにかぶれていた近田氏、はしゃいでいるうち川に落ちる(^_^)。
  この後、近田氏、川に落ちる
この平坦地からは川沿いに行かずに再度右に登る。登り切ったところが四郎五郎峠である。

四郎五郎峠から急坂を下りていく。八丁川に再会し、雰囲気の良い木橋を渡ると廃村八丁に着く。
     雰囲気の良い木橋
廃村八丁のシンボル、白壁の土蔵(冒頭の写真)にも会えた。

何と壁には東京銀座のビルや富士山、ヨットに乗ってポーズしている水着姿の女性まで描いてある。

ここはお風呂屋やかあ?しかしこの土蔵も崩れてしまって、今は柱の一部と土台が残っているだけだそうだ。
廃村八丁のシンボル、白壁の土蔵
 
廃村八丁のいろいろな遺構を後にして我々は帰りの途に着いた。ソトバ峠へは30分くらいで到達。南の小塩側の展望が良かった。
                  ソトバ峠
下りは笹藪のシングルトラック、いや足下さえ見えない急斜面である。おまけにスィッチバックも併用してあるため、下りというのに乗るに乗れない。前輪を持ち上げてサドルを腰で押しながら下りたり、色んな事をしながら必死でおりた。
     ソトバ峠の下り

エピローグ

我々は周山から周山街道の残る3つの峠をクリアし、ほうほうの態でBOX(部室)に転がり込んだ。
しかし本当に疲れた(~_~)。あまりの過激さに我々は備え付けの私用ノート(連絡帳)に互いの悪口雑言を
あらん限り書き殴ったのであった。



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