男坂 430m (2002.12.23) 地図

奈良県大宇陀町半坂−桜井市粟原
大宇陀の半坂から桜井市粟原へ下りる山道の峠である。桜井側から登ると山道区間が長く苦労する。

男坂というからには女坂がなければならない。『大和の峠物語』によると宮奥にある大峠が女坂で、半坂にあるのが男坂であるという。

男坂を攻めるため、大宇陀道の駅から小附を経由して半坂の集落へ登ってきた。しかし半坂の集落で小峠の手前にある男坂傳稱地道(おとこざかでんしょうちみち)と書かれた石碑などを見ると、本来は大宇陀の中心から小附−芝生−嬉河原−小峠−半坂と来るのが正解だったように思われる。
       小峠手前の石碑
石碑の指さす先の分岐点から男坂の道へ入る。坂の麓の民家に凶暴な犬はいるだろうか?『大和の峠物語』の著者(女性)は放し飼いにされていた犬に散々吠えられたそうだ。

おお!確かに鳴き声がする。でも・・・つないであった。奈良新聞にも掲載されたそうだから飼い主も奈良県中に恥をさらしたことがわかったのだろう。
       飼い主よりも有名な犬 (^^;)
道は田圃のあぜ道のような所から山に入った。押すことしばし、すぐに峠に到着した。
                峠道
何と、この山中に立派な石碑と常夜灯が建てられている。これはまさしく、相当量の通行があった証拠である。

男坂傳稱地(おとこざかでんしょうち)の石碑は紀元2600年建立とある。そう、ゼロ戦ができた年のことだ。いずれにしてもその当時までは現役の道だったわけで倒木が放置された現在からは考えることができないほど重要な道だったのであろう。
男坂傳稱地の石碑と常夜灯
              男坂傳稱地の石碑と常夜灯
桜井側へ下りていくと、山道といえども道はいい。水の流れがある所以外は何とか乗って下れた。途中意味不明な大石があったが、屋根が付けてあるところを見ると何か祝術的な意味合いがあるのかもしれない。
           イミフメな大石
そんなこんなをしているうちに道も広くなり、コンクリート舗装路面になって麓に辿り着いた。
             麓の常夜灯
麓にも常夜灯が建ててあったし、例の男坂傳稱地道の石碑もがそここに建ててあるし、ひさしぶりに格式の高い峠道を越えたという気持ちであった。
         男坂傳稱地道の石碑